11/21 ブローティガン『不幸な女』トーク

11/21に、こちらのシンポジウムでカゲヤマ気象台くんと対談します。ブローティガンの『不運な女』を手がかりに。sons wo:『耄碌車リン軸ヂャヤ』の関連企画です。Q

http://mourokusyarinjikujaya.tumblr.com/symposium


以下、twitterに投稿した9月2日現在の雑感を。


▼記憶というものの面白さは、不確かで、時系列が前後し、それが誰のものだったかも次第にあやふやになる(アムネジアに身を委ねること)。こうなると記憶はもはや夢にも接近し、人間存在から解き放たれた無数の断片として漂っている。

▼いわゆる「歴史」という体系的なまとまりとは異なる、普段は目に見えない記憶の断片や残骸がそこかしこにある。その意味では世界はすでに廃墟だ。この認識はおそらくピストルの引き金にも通じている。『不運な女』を書いた時、果たして彼は正気だったろうか?

▼明晰なる狂気が穏やかに語られる(書かれる)のは、ひとつの文学的達成ではあるけれど、それを30年後の異国の日常に生きるわたし(たち)が読むとは、どうゆうことか?
文学青年/文学少女であれば、「憧れ」というナイーブな態度でお茶を濁すこともできたけど、もはやそれさえも不可能な年齢に達してしまった今、別の冒険に踏み出さなくっちゃ「読む」ことにはならないと感じている……

▼……というようなことを9月の日曜日の雨の朝に思っているわけですけど、果たして2ヶ月半後にどんな話になるかな。とりあえず「話そう」というこの約束が保証するのは、少なくともそれまではピストルの引き金をひかない、とゆうこと。これはかなり大事だと思う。

▼わたしには豊かな文学的教養を開陳したり、美しく朗読したりもできないので、とはいえこの依頼を引き受けた以上、ピストルと、夢の隘路に入っていくようなあの文体のイメージを持ち続けて、どこまで迷い、そしてちゃんと生還する、とゆう次元で語ってみたいと思っています。ではまたそのうちに。