7/21 横浜でデスロックを観た日

この日は横浜デスロック・デー、と銘打ってよいでしょう。


【タダフラバージョン】

まずマチネで東京デスロック『再/生』タダフラバージョン。これは初演の『再生』に構成が近いらしく、とにかくおったまげた。こんなの悪魔か神様にしかできないよー、と驚愕しました。あと信頼関係ないと絶対無理。中野成樹+フランケンズのチームワークが素晴らしかった。斎藤淳子ちゃんがすっごいキレのある踊りを披露してるのとか驚きましたが、不思議と3周目、みんながバテバテになってきた頃で凄みをもって光ってくるのが、劇団の中ではベテランといってよいであろう石橋志保と洪雄大で、ああ、これが演劇における俳優の底力なのか……、と思ったりもしました。単に熱量とかではなくて、彼らの放つナニモノかに感動した。そしてセリフが小粋でよい。エッジの効いたスリーピースが(笑)。

ちなみにアフタートークは急な坂スタジオディレクターの加藤弓奈さん。アフタートーク初めてとは到底思えない流暢で的確な喋り。そして地に足着いた現実的な話、プラス、世界中の坂の上に「急な坂スタジオ」を展開したい、例えば私が今狙ってるのはサンフランシスコです、的な、一体どこまで本気か妄言か分からないけど夢のある話で素敵だった。あと「制作者」というよりフランケンズの中では「加藤さん」でしかないのだ、って話とか。これはほんとに良く分かる。「編集者」も似てる。


休憩中にみやながくんとそんな話を肴に、刺身と天ぷらをつまみにビールを飲む。


で、ここからの話↓↓↓は、まだ『再/生』を観てなくて各地方の公演を楽しみにしてる、って人は読まないほうがいいかもです。ネタバレというほどではないけど、わたしは前知識ナシに虚心坦懐で観たほうが面白いんじゃないかって思うので。でもま、お任せします。



【デスロックバージョン】

ソワレは『再/生』デスロックバージョン。より理解しやすかろうという意味で、この順番で観て良かったかも。ちょっともう凄かった。昼間観たタダフラバージョンの興奮も加わって、さらなる大感動を呼び起こしてしまった。初演の『再生』およびタダフラバージョンはシンプルな構造だけども、それに比べたらこちらはやや複雑な構成になっている。だけど、これは音楽なのだ、バンドなのだ(それもジャズとか現代音楽ふうの)、と考えるととてもしっくりくる。

まず、間野律子(やっぱりこの人は素晴らしい!)が引っ張っていく。で、そこにソロソロと様々な楽器が入ってくる。とりわけ左翼の佐山泉と、右翼の石橋亜希子には注目だ(もちろんこの右左は思想的な意味ではなく、単なるポジション取りの問題です、笑)。例えばそれらがベースとピアノであると考えてみる。で、ガタイがよくて踊れる佐藤誠(ドラム)と坂本絢(サックス)がやや派手な動きをし始める。まあ、楽器は今適当に当てはめてるだけなんですけど……。で、リードボーカルの間野律子は相変わらず中央で健在だ。そして、ただひとり、ほとんど場に貢献していないように見える(が、なぜか必死)の夏目慎也がいる。この時点では言うなれば彼はまるで無力なタンバリンを手にした場違いな人物であるかのように見える。

ところが、後半の盛り上がり! 照明と音響がググッと舞台に圧を加えてくると、変化が生じ始めてくる。これまでの東京デスロックでもしばしば見られたように、俳優の身体に過剰な負荷がかけられることによって、それまで構築されていたバランスが変容し、新たな世界が立ち上がってくるのだ。そして、こうなると、例によってなぜか輝きだす夏目慎也…………もうなんかタンバリンはどこへやら、いつの間にかエレキギター片手にキメているカッコイイおっさんみたいになっていた。そしてどちらかというと引き立て役に徹していた佐山・石橋の凄い形相にも迫力が……

……とまあ、以上はわたしが見た『再/生』デスロックバージョンですが、できればスタンディングで観たかったくらい。踊りたかったなあ。もう身体にダイレクトに来るものがあった。こうゆうふうに、俳優をまるで楽器のようにして舞台をつくっているのは、わたしの知るかぎりではこの東京デスロック『再/生』とマームとジプシー『帰りの合図、』くらい。だけどデスロックとマームはまた関心の矛先が違うようにも思います。多田淳之介はより身体と即興性に関心がある気がするし、藤田貴大はより声と佇まいと反復性におけるミニマリズムとノイズ(!)そしてアルバムとしての音楽に興味があるのではないか。とか。

だけどこういったデスロックの編成も、きっと各地方を旅するうちに変化していくだろう、と思われた。ツイッターでたしか野村政之くんが書いてたけど(もうずいぶん前なので正確なことは忘れちゃったよ)、すごく余地のある作品だなと思いました。これはやってるほうも、いわゆる演劇をつくるのとはまた違った楽しみがあるのではないかと思えたりする。そしてこれが成り立つためには、演出家(指揮者)が優れているだけではダメで、それぞれの俳優(演奏者)が、その楽器について習熟していなければ成立しないのだ。


そのあと横浜で飲んで、高円寺で飲んで、とハシゴ。たぶん身体がめっちゃほてっていたよ。Q