セルフ・ナラタージュ #05 三浦直之(ロロ)


ロロの演劇は、いつだって少年と少女の出会う瞬間に命をかけ、ポップでキュートな片思いを紡いできた。2015年から始めた高校演劇向けのフォーマットでつくる連作『いつだって可笑しいほど誰もが誰か愛し愛されて第三高等学校』(通称『いつ高』)シリーズでは、手練のストーリーテラーとして驚くべき新境地を開拓している。自分ではあらがえない理不尽な恋心。嫌われないか不安になっても、思いがあふれる愛の告白。彼の中にこんこんと湧く恋の言葉は、泉のようにピュアで多くの人の心を潤す。そうかと思えば、「官能教育」シリーズでは、あどけなさが残るゆえに強烈なままの性欲を開示し、観客の度肝を抜いたりもする。
そんなアンビバレントな作家性を持つ三浦直之。『ハンサムな大悟』の、第60回岸田國士戯曲賞ノミネートが発表された直後のある日、彼に会って話を聞くことにした。
(聞き手=落 雅季子)



ロロ集合写真(2016年 撮影:三上ナツコ)


▼三浦少年のひとり遊び

― ご出身は、仙台ですよね。

三浦  仙台市で生まれて、幼稚園のころに女川に引っ越して、小学校三年生の時に、今の実家がある新興住宅地の富谷町に移りました。今年10月で「町」から「市」になるみたいです。今まで地元のこと全然知らなかったんですけど、最近興味が出てきましたね。それは、女川が……津波で、なくなっちゃったから。ここに何があったか、津波のあとの女川を歩いて思い出せなかった経験から、つながってる気がします。

― どんなお子さんだったんですか?

三浦  ちっちゃい男の子って、頭の中でオリジナルの敵をつくって、戦って遊びますよね。うちのお母さんはそれ「ピシピシ」(※「ミラクル」と同じイントネーションで)って呼んでたんですけど(笑)。普通は卒業していくんだけど、俺、中学になるくらいまで部屋で「ピシピシ」やってたんですよ。だから親は心配してた……。さすがに声出してはやらなくなったけど、いまだに、頭の中でのお話つくるのはやってます。

― いまだに、とは?!

三浦  今までわりと普通のことだと思ってたから、あまり話したことないんだけど……。

― ぜひ教えてください……!

三浦  えっと、コレ結構複雑なんだよな……(ぶつぶつ)もう10年くらい、サッカーの物語つくってるんですよ。すごい大河ドラマになってます。最初は、超天才的な10番の男の子の物語だったんだけど、10年続いてるから、主人公がひとりじゃもたなくなってきて、主人公が26歳になった時に、20歳そこそこの選手ふたりが下の世代として出てきたの。彼らひとりひとりの才能は、主人公よりも下なんだけど、ふたりのコンビネーション技なら主人公にも及びうるッ!! みたいな? 俺何の話してんだろ(笑)。主人公がトップ下で、この二人がツートップで日本代表が最強に?! ってところまで進んで、今はこの二人のライバルの、さらに別の二人が主人公の物語になってます。

― おお……初めに登場した10番の選手もまだ存在しているんですか?

三浦  もう日本代表に呼ばれてますね。日本代表はレギュラー争いが厳しいから、細かくひとりひとりの設定や葛藤をつくります。「こいつは兄ちゃんの思いを受け継いでフィールドに立ってる」みたいな葛藤持ったやつらがレギュラー争いしている。ふとした時に、何も意識しないで頭の中で始まるから、自分では今まで普通のことだと思ってた。でも、俺がこうやってお話つくる根本なのかもしれない。

― 子供のころ、いちばん最初にお話をつくったのはいつなんでしょう?

三浦  小学校4・5年生の夏休みに、ポケットモンスターの指人形集めにはまってて。朝ひとりで、指人形を富谷町のいろんなところに置いていくんです。で、友だち呼んで、リアルポケモンをやるんですね。俺がゲームマスターみたいになって、最初のポケモン渡してバトルする。「今日の課題はこいつを倒すことだ。そのためにはこの条件を満たさなければいけない!」みたいな感じで、俺が連れ回すんです。森にいくと草ポケモンがいたり、川の側に水ポケモンがいたり、修行を積むと新しい技を覚えられるとか、ルールを考えて。うん、俺がやったいちばん最初の演劇はこれかな。小学校六年生までやってました。



▼マッピさんのこと

― 三浦さんは読書家で知られていますが、子供の頃から本が好きだったんですか?

三浦  好きでしたね。小学校中学年くらいから、ズッコケ三人組シリーズをひたすら読んでた。ただ、でも小学生の頃はどっちかっていうと読書感想文書くと「うまいね」って言われるのが嬉しかったっていうのが大きかったかも。作文は、ちょっと得意だったから。読んで何か書くと褒められると思って、難しい本も読んでみようと思い出したのが中学です。
でも、中2の頃に、マッピさんっていう同級生に出会って。その人にいろいろ自分の価値観変えられたんですよね……。なんで「マッピさん」って名前なのか、なんで「さん」付けしてるのかもわかんないんだけど(笑)。当時の俺、作文コンクールで賞取ったり、マーチングバンドのリーダーをやったり、優等生だったんですよ。ある時、弁論大会のクラス代表になって、ものすごくエモーショナルに弁論したことがあったんですね。小賢しくて、先生が喜ぶだろうなっていう弁論だったんだけど、マッピさんがそのことをいじってきて、その瞬間すごい恥ずかしいと思った。太宰治の『人間失格』で主人公の道化をみやぶる竹一みたいな存在っていうのかな……。バレてる! って。自分の汚いものを見抜かれたと思って恥ずかしくなって、そこからそういう優等生ぶったことはやめました。それから、マッピさんとすごく遊ぶようになっていった。

― マッピさんは、不良だったの?

三浦  めちゃめちゃおもしろい人だった。やすりで授業中にずっと木を削ってて、綺麗な球体つくって「わあ! マッピさんすごいね!」って俺が言ったり(笑)。昼休みに、体育館でマッピさんがみんな集めて鬼ごっこしたこともあった。「普通の鬼ごっこじゃつまんないから、頭つかむことにしようぜ」ってマッピさんが暴力的なこと言い出して、みんな超痛え! ってなってんだけど、だんだん興奮してきたマッピさんが、鬼でもないのに俺のところに来て、地面にバン!って俺をのしていく、みたいな。すごい変わってる人だったの(笑)。ぜんぜん俺が思いつかない視点からいろんなこと言ってくるし、人生で出会った中ですごく影響受けてると思う。でも、今は会わない。中3になってクラス変わってから、俺が受験勉強始めたんですよね。マッピさんはそういう感じじゃないから、距離できちゃって……。高校上がってからマッピさんと地元のイトーヨーカドーで会った時に「マッピさん!」って声かけたのは覚えてる。その時にマッピさんが「これ俺のバイクなんだ。乗ってみるか?」って言うから、またがって「すごいね、大きいね」とか言ってたらマッピさんが遠く離れたとこでニヤニヤしてて、そしたら全然知らない男の人が来て「てめえ何乗ってんだ」って言われた(苦笑)。……マッピさんには、結構コンプレックス持ってましたね。俺、小学生くらいまで結構全能感あったんだけど、全然違う価値観でめちゃくちゃおもしろい友だちでした。



▼男子校の日々

― その頃は、女の子には興味あったんですか?

三浦  国語の時間の本読みがうまかったから、小4の時に学芸会で主役をやったんだけど、その時が人生マックスのモテ期でしたね。でもいわゆる恋愛感情を持ったことはなくて。中2くらいから突然顔が赤くなって、女の人と敬語でしか喋れなくなった。

― 高校は男子校だったんですよね。

三浦  男子校の3年間、まったく色恋はなかったです。でも、隣のクラスの小池徹平君みたいな可愛い感じのキレイな男の子に疑似恋愛してた。遠くから眺めてただけで、話もしたことなかったけど、彼が楽しそうにしてるのを見るだけで嬉しかった。卒業式で顔真っ赤にしながら「一緒に写真とってもらっていいですか」って頼んだなあ。ギリギリ踏みとどまってた感じですね。今はこうしてネタっぽく言ってるけど、あと何歩か歩くと本当に好きになっちゃうギリギリのところだった。

― その頃は、さっき言ってたような青春小説に耽溺していた?

三浦  中学の頃から太宰治とか読んでたんだけど、一方で山田詠美『僕は勉強ができない』金城一紀レヴォリューションNo.3』っていう青春小説も読んでました。ケーブルテレビの『闘うベストテン』っていう豊崎(由美)さんとか大森(望)さんが議論しあってミステリのベスト10を決める番組があって、そこで豊崎さんの勧めてた舞城王太郎世界は密室でできている。』『煙か土か食い物』と古川日出男『アラビアの夜の種族』を読んだんです。その時に、これは俺が今まで読んで来た小説とちょっと違うなと思ったんですよね。そこから興味がわいて、SFとか海外文学を読むようになりました。それで、高3の冬にイアン・マキューアン『贖罪』に出会うんです。授業中から放課後までぶっ通しで読んじゃって、読み終えた時に俺がめっちゃ泣いてて……残って勉強してたクラスメイトたちが「えっ、どうしたの」みたいな空気になったの覚えてる。

― 今までの小説と何が違ったんでしょうね。

三浦  物語……すげえなって。『贖罪』は、物語で罪は償えるかっていう話なんだけど、物語に対する願いとか希望がこんなにもあるのかって。俺も物語つくろうっていう気持ちが、明確になりましたね。



▼物語は「乗り物」

― 今の話からも、物語に対する尊敬や畏怖がすごく感じられるけれど、物語を表現する手段として演劇を選んだのはいつですか?

三浦  本当は日芸の映画学科に入りたかったんだけど、入れなくて演劇学科入ったんですよね。そこで亀島(一徳)くんとか望月(綾乃)さんとか(篠崎)大悟とか、気が合う同期にも会いました。亀島くんが、授業での俺の話をおもしろがってくれて、三浦くんと作品つくりたいって言ってくれたんです。劇場押さえるところまで行ってたんだけど、俺が行き詰まって逃げ出しちゃって……。それで友だち全部失ったと思って、ずっと引きこもって音信不通になって、実家に1回帰ったあげく、大学戻るって親に嘘ついて、友だちのところ転々としてた。その最中に、戯曲を書こうと思ったんですよね。それこそマキューアンの『贖罪』のイメージで、無碍にしてしまったいろんなものや人たちに向けて贖罪の物語を書こうと思って……。それが(王子小劇場の「筆に覚えあり」を獲った)『家族のこと、その他のたくさんのこと』です。書いてる途中に、とにかく謝るしかないし、許してもらえないならそれでもいいと思って大学に戻ったんですよ。そしたら一番最初に会ったのが亀島くんで。いまだに覚えてるけど「戻ってきてくれて良かった!」って言ってくれた。「三浦くんはクソ人間だけど、俺は三浦くんのことおもしろいと思ってるからまた何かやろうね」って言ってくれて……。書き上げたらその戯曲はおしまいにするつもりだったんだけど、大悟がおもしろいから絶対やろうって言ってくれて、王子小劇場に持って行ったら上演できることになりました。それで、絶対に亀島くんと大悟と一緒にやりたいと思ってその二人に声かけたのがロロの始まりです。

― 三浦さんにとっての物語を支える、物語を物語たらしめるものって何なんでしょう。

三浦  何だろう……物語……。(長考)何なんだろうな…………最近のイメージだと、あるひとつの言葉を見つけるために必要な「乗り物」のイメージかな。物語に乗っからないと、その言葉は見つからない。だから書きたい「物語」はなくて、書きたい「言葉」が何かあるんだと思う。今は、それをずっと目指してるんだと思うんですね。
2014年に『ロミオとジュリエットのこどもたち』をつくった時、乳母の「すべての関係性であなたを愛してますよ。」っていう台詞が書けたんです。その時に「こういうこと自分で書けるんだ!」って、嬉しい驚きがあったんですよね。『ロミオとジュリエット』は、自分にとって初めて既成戯曲の演出だったし、俳優さんにそれぞれの役についてどう考えてるか、いろいろ話を聞いてたんです。その時に(乳母を演じた伊東)沙保さんが、乳母がジュリエットをいかに愛しているかについてそんなことを言ったんですよね。沙保さんがすごいのは「人って普通こんなこと言わないよね」っていう違和感から出発しないこと。共感できるかできないかでキャラクターを捉えず、すんなり受け入れてフラットに寄り添える俳優です。だからあれは、自分で書けたというよりも、半分は沙保さんに書かせてもらったようなものですね。そういうふうに最終的に俺が聞きたい台詞があって、そこに向かっていく形で書いています。


(左)『家族のこと、その他のたくさんのこと』(2009年)    (右)あうるすぽっとプロデュース『ロミオとジュリエットのこどもたち』(2014年 撮影:青木司)


― 自分の今を形づくる、思い出に残る恋ってありますか。

三浦  ありますあります。大学に入って好きな子ができて、運命の人だ! って思ってたんですよね。絶対にこの人と俺は結ばれるって純粋に思ってた。でもそれは実らなくて……そこから5年くらいずっと好きだったのかな。『LOVE』は彼女に失恋した直後に、立ち直るためだけに書いた戯曲だから、今読むとヤバいところもある(苦笑)。ただ、俺が好きだった女の子にとって『LOVE』はまったく嬉しくないと思ったから『LOVE02』は、彼女が喜ぶ話にしたいと思って書いたんです。『LOVE02』で、自分の中の決着がついて、そこから誰かに一目惚れすることはなくなりました。運命の恋はないんだって……。


『LOVE02』(2012年 撮影:三上ナツコ)



▼書評としての「役」?!

― 最近の作品で特にすばらしいと思うのが、三浦さんの書く愛の表現。ヘテロセクシャルホモセクシャルバイセクシャルなどを問わない形になっていて、人を好きになるっていいなという気持ちになれます。

三浦  自分でも不思議なんですよ。前からいろんな恋愛のバリエーションのモチーフは出てきていたけど、最近サラッと溶けて普通のことになった。

― 『ハンサムな大悟』で、大悟くん以外は、俳優本人の性別とは逆の役をやってましたよね。

三浦  このキャラクターを演じるのはこの人がいちばんいいと思って書いているだけなんです。俳優さんを観るのと小説読む行為って、似てる。僕、小説を深く読むことには自信があるんです。だから俳優さんという「テキスト」を読み込むことでは負けないっていう自負があって、読み込んだ俳優さんの「書評」を書くつもりで役を書いてます。あとはやっぱり、触れる触れないの話とかセックスの話を書きたいけど、俳優の性別がそのままだとあまりに直接的になっちゃって、それは俺が本来描きたいセックスから離れちゃうから避けました。大きい理由はその二つです。

― 書評として「役」を書くというのは、よく知っている間柄だからできること?

三浦  一緒にやりたいと思える俳優さんは「この本は俺がいちばんわかる!!」って語りたくなる小説みたいな人です。『いつ高』シリーズに出てもらった新名(基浩)さんと大石(将弘)さんはサンプル『蒲団と達磨』で共演したのがすごく大きい。今の俺は演出家だから、俳優さんと出会うのって「演出家と俳優」の関係になっちゃうんですよね。ロロメンバーは、大事な友だちでもあるから、今後誰かがロロのメンバーになったとしても、俺が演出家になる前に出会った(板橋)駿谷さんと同じ関係性は二度とつくれない。でも新名さんと大石さんとは、そう思ってた俺が、俳優としてイチから関係を結べたのが新鮮で、うれしかった。自分で俳優をやりたいモチベーションはそんなにはないけど、そういう出会いはしたいから、またいつか俳優もやってみたいです。松井(周)さんに会うたびに「サンプルに出たいです!」って言ってたし、ずっと松井さんに抑圧されたいと思ってたから嬉しかった(笑)。松井さんの性欲の話にはすごくシンパシー感じますね。


いつ高シリーズvol.1『いつだって窓際であたしたち』vol.2『校舎、ナイトクルージング』(2015年 撮影|三上ナツコ)



▼性欲が消えて恋だけが残る

― 性愛の話になってきましたね……。人間って、ある年齢から恋と性欲が不可分になってくるけど、三浦さんを見ていると、ピュアな部分と作品に現れる性描写の濃さが対照的に思える。三浦さんにとって、恋と性欲ってどんな関係にありますか?

三浦  …………(長考)いや、一緒なんですけど……えっと、性欲っていうものの終わりがどこなのかわかんないんです。僕、射精っていう経験がないから。夢精は目が覚めたら終わってるし、意図的に「達する」ことがないから、だんだん時間がたつにつれて勝手に収束して終わるしかないんですね……。そうなった時に、相手にどうしてあげればいいのかもわかんないし、俺もどうなりたいかわからない。性欲と行為はセットで、始まりはそこなんだけど、終わる頃にはそのふたつが離れてる感じかな。行為の最中に、スーッて性欲が消えて恋だけが残る。や、でもわかんないですけど……! 向こうを傷付けちゃうんじゃないかなっていうことで自分も自信なくなっちゃうことになりかねないし、それで行為自体が減っていくのが一番良くないのかなって……すごい具体的な悩み(苦笑)

― でも、それは相手を嫌いとか魅力を感じていないからではないですよって、きちんと話せばいいんじゃないかな。恋をした相手にしか性欲を感じない人もいるし、誰とでもできる人もいるから、そうなると恋と性欲は別物だろうなと思うけど、どうなんでしょうね。

三浦  や、ホントに難しいですよね……。

― 性的なことに興味はあるけど、自分自身がセックス経験を積みまくるみたいなことにはならないんですね。

三浦  そうですね。性欲はぜんぜんありますけど、それよりは妄想とか想像の方が好きかもしれない。人と触れ合いたいっていう気持ちは持ってるんだけど……たとえば一緒にいて、相手がすやすや寝てて、その横で本読んでる時間にすごく幸せだなって思うんですよ。一緒にいるっていうことにいちばん幸せを感じて満たされたるんです。向こうが安心してるって感じれた時に幸せを感じれる。全く甲斐性がないからそんな機会はつくれてないんですけど(苦笑)。

― ちなみに、結婚願望などは……?

三浦  最近、子ども欲しい気持ちが強くて。一人暮らししてから、親に対する尊敬がすごく強くなったんです。よく俺をこんなに愛してくれたなって。俺も、自分以上に他者を愛してみたいって思うんです。俺は、どんなふうに他者を思うかって作品を書いてるけど親はそれを実践しててすげえなって気持ちがあるから、自分も親になってみたいです。



▼言葉は行為を越えられるか、行為は言葉を越えられるか

― 三浦さんの世界には、そういうプラトニックな恋もあれば、『ハンサムな大悟』に登場するような愛に満ちたセックスも存在するわけですよね。自分の中にアンビバレントなものを感じません?

三浦  感じますね……。答えになるかわからないけど、『ハンサムな大悟』では、触れることは言葉を越えられるのかとか、言葉を触れることを越えられるのかっていうことを考えてました。

― それは、演劇が負っている宿命のような気がしますね。言葉に対する感度の質問になるのですが、三浦さんは小説を書いてみたいと思ったことはないですか?

三浦  戯曲の言葉は少しずつ書けるようになってきたけど、小説の言葉を俺は書けるかな? って疑問がありますね。演劇を使って書きたい言葉はきっとある気がするけど、小説を使って書きたい言葉があるのか、現時点ではわからない。

― 戯曲を書きたいわけじゃなくて、それを上演して俳優に形にしてもらうことまで含めて、表現したい言葉があるという意味?

三浦  あ、そういうことかな……うん、ちょっと考えますね(しばし考え始める)…………そうそう、思い出した。『朝日を抱きしめてトゥナイト』くらいから、俳優への口づて演出がすごく多くなったんです。台詞をその場で俺が言って、俳優に言ってもらって、聞いてっていうやり取りが増えた。ちなみに『いつ高』は意図的にそれをやめてダイアログを書いてるんですけど……。自分でもどういうふうに行くかわからずに台詞を与えて、俳優の声を聞いて次の言葉を出す。俳優も、台詞を戯曲として印刷して渡されたら、全体の流れを見てどういう言い方をするかってなるけど、どこが台詞の終わりか俺も俳優もわからない不安定な中で出来る言葉を、もう少しつくっていきたい。だから、小説の言葉ではないんですね。この俳優のこの声だから、この言葉が生まれてくるっていう感覚が『朝日〜』くらいからあって。そこに行き過ぎるとよくないと思うんですけど。


『朝日を抱きしめてトゥナイト』(2014年 撮影:三上ナツコ)

― その「戯曲の言葉」が認められて、第60回岸田國士戯曲賞にノミネートされましたね。おめでとうございます。

三浦  これでノミネートもされなかったら、俺は作家として結構難しいだろうなと思いました。ただ、受賞は……うーん。戯曲の完成度っていうことで言うなら、大きな転換期になった作品ではあるけど、自分はこっからだと思ってるから。あれは、こっからの作品の大きな一歩だから……まだたぶん俺もっと書けます。これからきっともっと書けるっていう気持ちですね。本当に、俺、珍しいんですよ。ワクワクしてる。自分が書くことにモチベーションがすごく高い時期なんです。

― 応援してます。今日はありがとうございました!



『ハンサムな大悟』(2015年 撮影|朝岡英輔)

批評やインタビューにたずさわる者のさがとして「この人はどんなことがあっても一生「作家」でいる人だな」というのが、わかることがある。『ハンサムな大悟』『いつ高』シリーズと、2015年の大躍進を見て私は、まさに三浦直之こそ、作家として生まれ、一生作家でありつづける人なのだと確信した。誰に頼まれなくても、何もかも無くしても、彼から物語を奪うことだけはできない。本当に書きたい「言葉」を見つける乗り物である「物語」で、彼がどこまでも走るのを、これからも私はまぶしい気持ちで見つめつづけるだろう。






★過去のセルフ・ナラタージュはこちらから。
第一回 神里雄大(岡崎藝術座)
第二回 大道寺梨乃(快快)
第三回 菅原直樹(OiBokkeShi)
第四回 柴幸男(ままごと)