2つの楽日

朝、人から頼まれた仕事をしてから大学病院に行ったら受付時間が終わっていて、意気消沈。別に利他主義とかではないんだけど、自分のことを優先する意識があんまりないし、それでいいやと思ってるけど、これで健康を害してくたばるようでは困るので少し考えないといけないな……。

で、鳥公園→マームへと、ダッシュして楽日のハシゴ。励滋さんが渋谷からタクシーを使えば早いよと教えてくれたのでそうした。そうでなければ間に合わなかった。


鳥公園『おねしょ沼の終わらない温かさについて』は、まったくもって完璧な作品ではなく穴はあるし、ポテンシャルに対する完成度も低かったと思う。そして、完成度が低いことはやはりあまりよいことではないと思う。なぜなら、やれるはずのことをやりきってないから。やりきることで、初めてその次が見えてくる、とゆうのは、これまで様々な作品や作家を見てきて思うことでもある。けれどだからといって、わたしは別にまるっと完成されたウェルメイドなものを観たいわけではないので、完成度が低い中にあっても彼女たちの今後に繋がりそうな様々なヒントがあったように感じているし、重要な一歩を踏み出したようにも思う。

いろんな人の感想を聞いていてひとつ思うのは、今回、鳥公園の「世界観」のようなものを気に入ったとゆう人が結構いるなあとゆうこと。確かに今回はそうした面が強く出ているのかもしれない。しかし「キモカワ」とか「ゆるふわ」を彼女たちがやりたいわけではない、とゆうのは明らかなので、もっとそうした「世界観」そのものを食い破っていくような何かを今後は観てみたい。

「キレなかった14才♥りたーんず」もそうだったけど、あの企画によってそれまでの各自の公演とは違う様々な人が見に来て、たくさんの毀誉褒貶に晒されて、それで彼らはグッと伸びていったところがあったように思う。演出家も役者もスタッフも。あるいは去年のF/T公募プログラムも幾らかそうした役割を果たしていたかもしれない。鳥公園も今回、初めて観たけど良かった!とゆう人や、なんだか今いちだったなあ、とか、いろんな感想が様々なレベルであったと思うけれども、この経験は大きな糧になりうるのではないだろうか。俳優たちがツイッターで感想をやたらRTしていたけれども、批判的・否定的な感想まで含めてRTしていたのは良かったように思います。どうせやるならそこまでやったほうが潔くていいね。

あと今回は「遅れ」がテーマになっていたみたいだけど、これはたぶん今までの鳥公園ではあまり表に出てきていないものだった。ここから独特のリズムを見出していけるのではないかな、とも感じる。なんとなく観ながら『不思議惑星キン・ザ・ザ』を思い出したりした。クー!



マームとジプシー『Kと真夜中のほとりで』は、ゲネも合わせると4回目の観劇。この日は2階席から観た(くるみちゃんが隣にいてso cuteだった)。上から観るのはひさしぶりだった。「キレなかった14才♥りたーんず」の時はよくこの席から観たものだ。

上から観ると、彼らのフォーメーションが回転していく様がよりはっきりと見えた。それは何かを描いている、呪術的な行為のようでもあった。その中央には暗い湖がぽっかりと穴をひらいている。そこには、湖の中に眠るもの、地層、つまり、死や歴史がある。

町の歴史とはなんだろうか。今を生きているわたし(たち)の生は、非常に薄っぺらいものかもしれない。人によっては、本を読んだり、いろいろ調べたりして、歴史とゆうものを「勉強」するわけだが、しかしそうはいっても生きている者の生命は、平面の上に置かれているわけだ。そこに堆積しているようなものを、今回のこの湖の物語は呼び込もうとしていたのかもしれない。

4回観ると、そのたびごとに見えるもの、聞こえてくるものが違っている。初日と楽日とでは、俳優たちの感情のアウトプットの仕方もずいぶん変わっていたけれども、観るわたし(たち)の感性も変化していたようだ。7回観たとゆう人もいた。どうやら聞くところによると10回も観た猛者までいるらしい……。どうして今回の作品は、こうしたリピーターが増えているのか。もちろん、アゴラの支援会員制度を使えるから、とゆう人もいたかもしれない。しかし当然それだけではない。お気に入りのアルバムを聴くような感覚で、といった人もいるだろう。これはおそらくだけど、例えば好きな女優のおっかけだから、といった理由でリピートした人はほとんどいないような気がする。そうした種類の動機で入ってくることを拒むような感覚がこの作品にはあるのではないか。

あと、台詞がやたらと耳に残るのもこの作品の特徴のひとつだ。例えば今わたしの耳には「ブラウン管TVの中で〜は、テレフォ〜ンショッピング!」とゆう召田実子の声がリフレインしているけれども、他にも様々な声や身体のシルエットが印象を残している。

もう少し時間をかけて、この作品を溶かしていきたい。



それから飲みに行き、いろいろと話す。とゆうか、話を聞いていただく。「水飛沫(みずしぶき)」といったキーワードが心に残った。そして下北沢で朝までコース。なんだかしみじみと感じたのは、何事も時間がかかるなあ、とゆうことだった。

まったく、なにごとも時間がかかるなあー。途方に暮れるよ。

でもまあそれはそれで悪いことでもないのかもしれないなあ。時間を過ごしていくとゆうことは。


あわてない、あわてない。ひとやすみひとやすみ。Q