8/5 artについて

五反田で取材していろいろお聞きすることができた。だけど睡眠不足のせいかその後の打ち合わせは振るわず。まあ仕切り直すしかないかと諦めて家に帰ったところでバタンと倒れるように夕寝して、起きたらぐっしょりと寝汗をかいていてちょっと生まれ変わった気分になり、高円寺の寿恵川までウナギを食べに行った。飲みたい気分をこらえて帰りに銭湯へ。家に帰って、飲まずに早めに寝た。


……はずだったけどやはりうまく寝付けず。石原慎太郎の日本は核武装せよ発言の記事を読んでしまったりして。うーん、やっぱり日本は相当やばいことになっているなあと感じる。そして政治と芸術について考える。たしかにデモで訴えたり政治的メッセージやステイトメントとして発表できるのであればわざわざ芸術などつくる必要がなく、直接言葉で表明すればよいだけだと思うので芸術をイコール政治的宣言にしているのはナンセンスだと思うけども、かといっていわゆる文化や芸術に携わる人間が必要以上に政治から距離をとってきたことのツケは大きい気がする。3/11に起きたことについてすぐに飛びつくことが節操ないとか恥ずかしいとか思う気持ちも十分すぎるくらい良くわかるけれども、芸術はそこから距離をとるべきだ、みたいな言い方も、結局のところ政治的なものに対して鈍感であるための言い訳にしかならないような気がするのです。

これはわたしが学生時代に政治学を学んでいたせいもあるのだけど、世の中の多くの人は「政治」とゆう言葉にアレルギーがあるけども、政治学は別に永田町のことだけを扱うのではなくて、世の中のありとあらゆる部分には権力(影響力)が働いていると考える。あるいはその力や価値の再配分の仕方について取り扱う。そして、そうした影響力の存在は、感度の高い芸術家であれば何らかの形で(言葉によってでなくとも)感じているはずで、芸術家とゆうのはだから、それぞれのやり方でその鋭敏な感覚をそれぞれの形にしていく。そこにはもう「政治/芸術」とか「政治/文化」みたいな二項対立は存在しえないとも思うのです。芸術(art)は、世界を取り扱うための、時には世界に立ち向かっていくための技(art)だと思うから。Q