8/23 何度目かの「共感について」

エビス駅前バーのプロデュース公演『くすり・ゆび・きり』。エビス駅前バーは初めて。なるほどこんな感じなのか。仕事帰りにバーやカフェやライブハウスで一杯飲みながら観劇、みたいなカルチャーはこれから増えてくるのかな。内容的にはウェルメイドなオトナの恋愛モノ。結構お客さんも楽しんでいたみたいだし、好きな人は好きなんだろう(わたしはそんなに)。

ところでわたしはかつて仕事上の必要があってエンタメ小説を読みまくっていた時期があり、だから人をほろりと泣かせたりほんわか癒したり、ってことにはそれなりの王道なり邪道なりがあるのだなと思う。それをじゃあお前書けよと言われてもわたしには書けないのですが。いわゆる「エンターテインメント」はとりわけ70年代くらいからの戦後日本を強固に支えてきた。例えばうちの母親がよく火曜サスペンス劇場とかを観て「疲れないからいい」と言っていたけれども、それを「ふーん」と思う一方で尊重したいともわたしは思うのです。

米内山陽子(トリコ劇場)の戯曲はエビス駅前バーのニーズに応えたものだと思うけども、細部のリアリティの精密さと間(ま)の少なさがちょっと気になった。会話に頼らずに進展していく部分がもう少しあっていいのではないかとも思うけども、今回の書き方がたまたまなのだろうか? あと、このお芝居の中で重要な役割を果たしているだてあずみ。嬢は「わが星」ワークショップとバナナ学園でしか観たことなかったけれども、芸達者であるのみならず、まだまだ引き出しありそうでした。ともすれば深刻になりすぎてしまう役どころであのナチュラルな軽妙さは貴重。



ちょっと整理しておきたいので、上と関係ないメモ(ほんとうに関係ないです)。わたしは何度も事あるごとに言ってきたけれども、いわゆる「共感」が好きではない。より正確にいえば「共感」を強いられるのが好きではない。とゆうのは例えば家族や学校の話をされても、わたしの経験はそこで描かれるものとはまずもって違うし、いやいやあなたの思っている家族や学校とわたしのそれとは全然違いますから、と思ってしまう。ここは譲れない線がある。そう思ってしまうことでずいぶんと人生を棒に振ってきたかもしれないけれども、一緒にされたくない、均されたくない、収奪されたくない、消費されたくない、と思って不良ぶってきたりもしたので。頼むから一人にしてくれと願ってきた。でも本当は誰かに理解されたかったわけですが(そしてそれは無理だった)。そこには頑なで絶対的な「自己物語」があったのかもしれないです。

それでかつては例えば家族モノであればドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』やハイバイの『て』なら幾らか「共感」できるかも、と思ったこともあったけれども今はまたちょっと考え方が違う。自己物語なんて本当はなくて、ただ淡々として事実は確かに存在した、しかしそれにまつわる記憶は薄れたり、濃くなったりするのではないか。仮に自分の人生の記憶と呼べるものがあるとしても、それは夜な夜な見る夢の記憶と交わったり、他の誰かの物語と混ざり合ったりすることで、一体どこまでが「私」のものなのか分からなくなっていくことがあるのではないか。それでよいと最近は思う。後生大事に抱えるべき自己物語なんてあるのかな? トラウマ、みたいなのがあまり好きではないのも自己物語に依存しすぎているように思えるからです。

ただしこれも繰り返しになるけれども、例えば「10代の頃に感じていた孤独」のようなものは自己物語とは別に記憶の奥底に眠っていて、技術とタイミングとパッションさえあれば今でもまざまざと蘇りリプレゼントされうる(再び現れうる)。


で、マームとジプシーによって刺激されるのはまさにその感覚なのです。例えば『待ってた食卓、』で描かれているのは、わたしにとってはあくまでも他者の物語。自分の人生をあの家族や食卓にそのままなぞらえるような余地はほとんどない。しかしあの作品は記憶を刺激し、その結果、時間差で「わたし」の記憶がやってくることはある。わたしの場合例えばそれはおばあちゃんの記憶だった。しかしそれは「おばあちゃんと過ごしたわたしの記憶」のように見せかけて、実は「おばあちゃん自身の記憶」でもあるのだった。そうやって他人の記憶に滑り込んでいくようなこと、入り込んでいくようなことが、フィクションを通してなら起こりうるのではないか?

それを「共感」と呼ぶんだよ、と言う人もいるかもしれない。でもわたしにとってこれはやはりべったりと自己物語を舞台上のそれに重ね合わせるような「共感」ではなくて、あくまで記憶の刺激を通して「他者の記憶」へと繋がりうるひらかれた回路である。この違いはとても微妙なラインなのだけど、少なくともこの違いはあるのだと認識しておきたい。凡百の「共感」と、「記憶の回路」は異なる。それはわたしが「共感」がほんとに苦手だからよく分かる。そして後者を描くことを恐れるべきではない。こうした他者の記憶から「歴史」にコミットすることも可能であるだろう。

例えば『待ってた食卓、』にしても、実は作家自身の記憶とゆうよりは、作家の親の記憶を源にしているのかもしれない。『塩ふる世界。』についても、作家の友人の記憶かもしれない。あるいは作家の住んでいた土地の記憶かもしれない。実際にどうであっても構わないと思う。

記憶を刺激する装置として作品(フィクション)がひらかれてあることで、他人の記憶の中に入り込んでいく、といったことはそれを観る者にも起こりうる。「演劇=物語」ではなくて「演劇=記憶の刺激・再生装置」と考えてみるのはどうだろうか。とすればそれは絵画的/音楽的/ダンス的であったりしても全然いいわけである。そしてそれは「演劇=物語」の話法とは、何かを描こうとする態度や手つきが根本的に異なる。

『塩ふる世界。』で最も危険だったのは、音楽をがっつり使うことで、一定のリズム(BPM)で揃ってしまう可能性があることだったと思う。俳優たちの足並みをぴたりと揃えてしまった時、それは美しく見えるかもしれないが、ともすればそれは「共感」の輪をつくる装置になりえてしまう。これは危険な賭けだったのではないか。しかし3回目にこの作品を観た時に、俳優によってそこにバラツキやノイズがあるのを見ることができた。そして明らかにここには、そのような演出をする意志(あるいはあえて演出をしない意志)があったと思う。そこにこの作品の弱点もあったと思うのだけど、逆に言えばそれは今後の大きな可能性でもある。彼らはなにゆえにあそこまで運動させられ追い込まれ、疲弊させられたのか? を、考えてみるのはとても面白い。演出家は、そして観客は、疲れきった彼らの身体に何を見たのだろうか?

やや急ぎ足で書いたので文章も雑だし正確ではないかもしれないしまた訂正するかもだけど思考メモ。Q