9/7 福島へ 

わりと寝た。で、起きて細々とした雑務をしていて、うーんそういえば、と数日前から気になっていたことが頭をもたげてきた。9/17から始まるImage Fukushimaのトークゲストの中に「吉野裕之」とゆう名前があり、「子どもたちを放射線から守る福島ネットワーク」で避難や疎開を斡旋する活動をしているらしい。

編集者の仕事をする前に少し身を寄せていた事務所で、都市計画や地域振興の仕事で福島にたびたび出張していた。その際、福島在住でいろいろ世話をしてくださったのが、吉野裕之さんだった。当時から吉野さんは市民活動的なものへのシンパシーを持っていたし、本人かもしれない。思いきってネットに載っていた電話番号にかけてみると、懐かしい声が出た。やっぱり吉野さんだ! それで早速、会いに行くことにした。ちょうど青春18切符も余っているし。リュックに素早く荷物を詰め込んで湘南新宿ラインに飛び乗った。約束の時間に福島に着くためには途中下車できないので、おにぎりとお茶をキヨスクで買って。


東北への鈍行列車は空いていて快適だった。いかにも関東平野らしく、線路沿いにひたすら低い家屋が並んでいる。宇都宮から先、黒磯を経由して福島に行くわけだが、このあたりになるともう少し森や山が近くなり、地形も複雑になってきた。那須のあたりは特に小川も多く、水は澄んでいる。


 
 



福島に到着した。懐かしい光景。もう7、8年ぶりくらいになる。しばらく、昔仕事をしていた街路を歩いて、福島テルサまで歩く。内部被爆と避難問題に関するセミナーがあり、よかったら聞きにきませんかと吉野さんに誘われていたのだ。テルサのエレベーターの前でひさしぶりに吉野さんに再会した。髪には白いものが少し混じり、以前より精悍な顔つきになったような気はしたけれどもやっぱりその人は吉野さんだった。なんとなく抱擁をした。

セミナーは、ひりひりしたものになった。切迫感が全然違っていた。後半の質疑応答は、予定されていた時刻を過ぎてもまだ続いた。子供を持つ母親や、飲食店経営の人など。給食はどうなっているのか? 尿検査はどうやったらしてもらえるのか? しかし福島では今、風評被害を抑えるために、「とにかく安全」とゆう方向に舵を取っているらしい。不安を持つ人は、そして正しい知識を得たいと考える人たちは、肩身が狭くなりつつあるようだ。


終わった後、吉野さんとご飯を食べにいく。小さいが、賑やかなお店だった。福島市の街は思っていたよりは元気だった。しかしガイガーカウンターによると、絶対安全とは言えない。いろいろな話を聞いた。これは後で何らかの形でしっかりまとめたい。


そして吉野さんちに泊めていただく。書斎でジャズのレコードを聴きながら、吉野さんはパソコンに向かって仕事をしていた。わたしはロッキンチェアーに揺られて、いつの間にか眠っていた。Q