9/28 ……

変に早起きしたせいか、体調が芳しくない。それでもいろいろ仕事をする。完全復活かと思ったんだけどそう簡単にはさせてくれないのね。仕事への意欲はあるんだけど、いかんせん、どうも体力がもたない。どうしたことかな。精神的に、って感じでもないんだけど。二日続けて焼き肉を食べた。安いんで。


しかしなんとゆうか、わたしは幸福だな、と思うけれども、それとは別に、何かこう絶望のようなものがまとわりついている気もする。これは今に始まったわけではなくて、ずっと10代の頃から憑いて離れないものだけれども、まあそれなりに上手くやってはきた。いや上手くなかったかもだけど、結果的には生き延びてきた。つまりそのための方策は、世の中をより事実として把握し、具体的な課題に取り組めるだけの知恵や技術を身につけること。……とゆうと聞こえはいいけれども、そんなに考えて実践してきたわけじゃなくて、ただ生き延びるためにもがいて、結果的にそうしてきたのだと思う。

でもそうやってし続けても、絶望や、深いかなしみのようなものが消えるわけではない。むしろますます深まっていく。さっきわたしが自分を幸福だな、と言ったのは、良き理解者に恵まれているからで、そのことは痛いくらい良くわかっているつもり。でもな……とすぐに絶望が押し寄せてくる。吐き気をもよおすくらいに。


絶望者のSNS、とかあったら入りたい(笑)。どうしてこんなに世の中は(文字通り)無闇に明るいのか。その明るさが心底のものだったらいいんだけど。そして実際には、心から祝福できるような清々しい明るさがあることも知ってはいるのだが。ところが人間は、日常生活の中で、ちょっとずつ無理をしていくのだ。まがいものの明るさを生み出してしまう。いつもそう感じるわけではないけども、ツイッターとか眺めていると時々人間が嫌いになる。気が滅入る。個々人が無理して隷属した偽・明るさの総体は、何かとんでもないことを引き起こしかねないと思う。

例えば若者が、ゲーセン経営の老人を殺す。金欲しさに。あるいは、親が坊主と結託して、13歳の娘を滝行で窒息死させる。夜中に。彼女は苦しかったろう。冷たかったろう。どうしてそんなことをしてしまうのか。元気ならあと70年くらいは生きたかもしれない。恋もしただろうし。子供だって産んだかもしれないのだ。

人間は、なんらかの屈折を経ることなしには生きられない生き物だ。まっすぐ生きる☆きらーん、みたいなのはちっとも健全ではなくて、まがいものの新興宗教の安っぽい嘘の口上の中でしかありえない。みんな何かしらの屈折はしているのだ。ただ、そこで変に鬱屈を溜めるようなことになると、何か間違ったことがそこから起きてくる。人は他人を傷つけずにはいられないが、とりかえしのつかない致命傷を誰かに与えてしまうようにもなる……。


とか。まあこの半年くらい、お酒を飲んで忘れようとしてきたような部分が、今、目の前に突きつけられているのかもしんない。大地も海も汚染されてしまった。植物も、動物も。魚も。ここで生きていくのだ……。


無神論者に神は必要ない。ノーサンキューだ。でも孤独にものを考えるくらいのことはしたい。そのための時間が欲しい。や、ないわけではないはず。孤独で、とゆうのは、別に、ひとりで、を意味するものではない。ただ、本は読みたい。


少し前まで、人生は巨大で、自分のちっぽけな手のひらでは触れることすらできないようなものに感じられていた。それは大人たちのものであり、通過儀礼なしにそこにアクセスすることは不可能に思われた。今も、今でも、世界は巨大でありつづけている。でも人生はそうではなくなってきてしまった。自分もまたいつかもうすでに、大人たちの列に加わっているのだ。残念ながらもはやただ無邪気ではいられないし、そこで仕事をしていかないといけない。そのことは別にイヤではないし、気の引き締まるような新鮮な気持ちもある。ただ……

こんな言い方はどうかと思うけど、ここにはどうも罠があると感じる。といっても、そのへんにありふれている(震災後たくさん湧いてきた)安っぽい陰謀論とかではなくて。ん、ここを大事に、丁寧に踏んでいかないと、何かおかしなことに巻き込まれるぞ……とゆうなんとなくの勘が働いたりもする。

もちろん、孤独に闘っているのが自分だけではないことは知ってる。それはほんとうに救いである。ひそかにエールをおくりたい。孤独をまがいもので埋めるのではなくて、孤独なままに繋がっていけるようなゆるやかな連帯をつくれたらいいと思う。それを、仕事を通してしたい。そうゆう仕事がしたい。そうゆう仕事の仕方がしたい。


やっぱり東京の空気にうんざりしているのかもしれないな。旅のあいだは、あらゆるものが新鮮だった。人間が、生き生きとしているように感じられた。演劇のために演劇を観るとか、そうゆうのは、要らん、と思う。わたしには必要のないことだ。しかし演劇(芸術)は世界にアプローチしうる。何かをひらいてくれる。その可能性のことはますます考える。

どうやらきっと、読書が足りませんね。あと、チョコレート。Q