10/12 いくつかの矛盾について

維新派『風景画』を見てきた。つまらなかったと思った理由は、ツイッターでちょこっと書いたもの以外にも山ほどある。でもそうしたことを書くには労力がいるし、書いた結果がそれに見合うものになるとも感じないので、今は書かない。スタッフを含めた作り手のチャレンジもあったのだと思うし、そんなの関係なく、作品は作品だと思う気持ちもある。まあ、正直なところを言えば、今はそっとしておいてほしい感じ。今さら遅いけど。


で、そのつぶやきをいくつかRTされて、まあそれは仕方ないとしても、違和感を覚えるところがあったのでツイッターに書いたら、ご意見をいろいろいただいた。これは大げさに言えば、この国のメディアの地殻変動に関わる大きな問題を含んでいるのだと思う。いくつかの線が複雑に絡み合っていて、だから矛盾が生じている。

そしてこの矛盾はとりあえず抱えていくっきゃないのだと思う。


例えばツイッターは、ある人の発言が〈記名性〉をもって誇示されると同時に、その人の発言をRTのたらい回しによって〈匿名化〉するツールでもある。ここにまず相反する2つの相がある。ある人たちは、××××さんの発言だと思ってその発言者の責任と共に読むし、ある人たちは、どこの誰のかも知れないanonymousな発言をその文字面で眺めることになる。

そうした矛盾を孕んだ発言の総体として、ツイッターによる言論空間はできあがっている。そのことは仕方がない。いちおうもの書きなり編集者なりをやってる人間であれば、みなそれくらいのことは覚悟の上だろうと思う。


ただ、批判的な発言をRTをして誰が喜ぶのかなと単純に思う。そんな暇があるのなら、もっと面白い演劇なりなんなりを紹介しているのだから、そっちを広めてくれよ、とゆうのが正直な気持ち。一方では、どんな発言もパブリックな言論空間では等しく扱われてしかるべきなのだと思う気持ちもある。

あと、作り手はどんな時でも闘っていると思うので、それに負けず劣らず見合うくらいの働きや覚悟をもってやってかないと、って思っているのです。泥沼みたいな、ぬるま湯みたいな、日本特有の空気はもう勘弁。

ああ、なんか矛盾だらけでめんどくさくなってきた……。



さらに正直なところを言うと、わたしは、自分のアタマや言葉で考えない人のことがあまり好きではない。これは今までのメディアが、スターなりイコン(偶像)なりを作り上げ、それを信奉し心酔するファン(フォロワー)を大量生産していた、そのファンの獲得競争だった、といったやり方とは全然違うわけです。そういったことが今まではプロだと思われていたのです。でもわたしは違います。もうそういった時代には生きていないと思ってる。

しかしここにもまた矛盾が生じるのです。偶像は要らない。だけど、作家としての強度はないと困る。そこは守りたい。そして、そうしたファンが経済的にアーティストを支えているのではないか、といった問題もまだある。これは永遠に解決されないことかもしれない。あるいは新しいシステム一発で改変されることかもしれない。


ともかくそこ(新しい世界)では、たとえ一方的にしか発信してないように見えても、実はコミュニケーションが生まれている。これは贈与にも近い行為だ。与えたり、もらったり。相互のやりとり。前に快快のYonちゃんが言ってた言葉を借りればこれは「プレゼント」だと思う。

プレゼントはもらってもあげても嬉しいでしょう。そして、素朴な言い方になるけど、「嬉しい」みたいなことがこれからより大切になってくるんじゃないか。


さらに芸術作品は、それにアクセスする人を増やすために告知のようなことをしなくてはならないこともある。お祭り的に盛り上がったほうが多くの集客を見込めるし、それは作家を育てることにもなるし食い扶持的にもありがたいだろう。でも一方で、(優れた)芸術はその前に存在するものをただひとり佇ませるような強い力がある。ここにもまた一種の矛盾があるわけです。


とかとか、とにかくこうしたことの孕む矛盾については、現時点では論じても埒があかないと思ってる。もうみんな、どっかですでに思ってることだよね。これらを論理的に解決(アウフヘーベン)できる部分があるにしても、それはそっちの道の分析家に任せたい。それ以上に、現実に存在するものの質量がそれを突破するほうにわたし自身は賭けたいのです。とにかく仕事量を重ねること。そうした仕事はすでに様々な人たちによって積み重ねられようとしている。わたしはわたしの仕事をするだけです、今は。それが(それ自体が)革命です。これは本当に。だって世界が変わるのだから。

全然足りてないんだよ。たぶんそのことへの苛立ちがもっとも大きい。


とにかく過渡期なので、分かりやすい答えなんてない。しかしだからこそ、分かりやすい答えのほうが求められる時代でもあるだろう。↑で書いたことだって、もうちょっと整理してアクロバティックにやれば、そのほうが受けるかもしれない。わたしだって普段の仕事では、いかに整理して適切に情報を伝えるか(あるいは伝えないか)とかをその都度、考えてる。でも今はそんなことはいいから考えてほしいのです。で、それぞれの仕事をやればいいとわたしは思う。とゆうことで、この話題はいったん終わり!Q