12/10 芸術と社会

昼は、東高円寺まで歩いてランチを食べようと思ったら、目当ての店が閉まっていた。ほどよい散歩になった。天気も良かったし。


夜は乞局乞局』を王子小劇場で観て、外に出たらホームレスのおじさんが凍えていた。そういえば昔、弟が早朝、凍死したホームレスを発見したことがあったけども、この寒さでは死んでしまう人も出かねない。『乞局』はそうした周縁の人々を思わせるような芝居だった。中心にある(記憶に関する)モチーフが効いている。絶望が絶望に終わらない。破滅は実は破滅ではない。一見、露悪ふうにも見える中に、やさしさのようなものを感じた。


やっぱりわたしは場末感のあるのが好きなのなー、と思って高円寺に移動して場末感溢れる安い食堂に入ったら、おっちゃんがひとりでやっていて客がまったくおらず、焦った。しかしそれなりに美味かった。特に豚汁。柚入りで。外に出るとすでに皆既月食が始まっていて、赤くなっている月を街の人たちが見上げていた。


それから高円寺DOMスタジオの「フジロッ久(仮)」とゆうイベントに、レオターズのパフォーマンスを観に行く。これは島田桃子が中心になってロロの森本華らと結成しているダンスチーム、だと思う、たぶん。すごく可愛かったし、それは良いことなんだけど、おそらく彼女たちの目指しているところはそこだけではないのだろうと感じる凝った演出だった。特に音楽の使い方とか。この日はわずか5分くらいのパフォーマンスだったけども、いろんな場所で観てみたいなと思った。コミカルさに独自の洗練があれば大きく化けそう。……でも考えてみたら彼女たちはめちゃめちゃ若いのだし、観客層も同じくだった。多少の場違い感を覚えながらそこにいたのは事実です。とても楽しかったけど。


芸術と社会についての48のメモ

さて、ここからが日記の後半です。そのあと中華屋に流れてひとりちびちびと飲みながらふとツイッターに書いてしまったことがあり、それに対して、演劇の制作やドラマトゥルクをしている野村政之くん(@nomuramss)から「芸術を言葉で説明すること」についてレスポンスがあったので少し補足しますね。実は最初わりと説明的に書いてみたのですが、あんまり面白くなくて途中でイヤんなっちゃったので、全部崩して分解した断章のみに留めます。直接関係ないものもありますが、大体これくらいのことは念頭にありました。ここから何を引き出すかは読んでくださったみなさんにお任せします。言い切りにしちゃったのでエラそうだったらごめんなさい。エラくないです。


1

Pはなぜ芸術作品をつくり、それに触れようとするのだろう?


2

芸術活動はよほどひとりよがりなものでないかぎり、いや、どれだけひとりよがりであっても、それを接続する回路さえあれば社会的意義を帯びるのではないか。(例えばヘンリー・ダーガーのことを想像してみる)


3

「言葉」もまた社会への回路のひとつである。実際、Pがみずからの活動を言葉で説明することを求められる場面は多々ある。助成金の申請しかり、各種公募企画のプレゼンしかり。


4

そこに山があるからだ。


5

芸術はハチャメチャで唖然とするようなものであってもいいのだ。


6

20歳くらいの頃に読んだとある政治学の教科書の冒頭。学生Pの就職活動の報告を教授が聞いているシーン。Pは面接官に「君、政治学をやってたそうだけど、それがいったい何の役に立つんだね?」と訊かれてほとほと困った。Pは汗をかきかき答えたが……その答弁も正解もその本には書かれていない。

7

相手の設定した土俵にただ乗るのではなく、時には乗ったフリをしてみたり、あるいはその土俵を作り変えてでも相手を説得するような技(art)を磨くこと。


8

アート(art)とは世界に対峙していくための技(art)なのかもしれない。


9

「説得」には様々な方途がある。例えばデモや、断食や、座り込み。まったく推奨できないけど国や宗教によっては焼身自殺といった手段さえもある。あるいはこれも良くないやり方だが、マフィア的な恫喝や暗殺といった暴力的手段も。テロもある。戦争もある。暴力は相手をねじ伏せることによって交渉を遂げるが、言葉は非暴力的な形でそれをやってのける。


10

Pの心を打つ要素として、「言葉」だけではなく、「時間」がある。


11

ただ単に正義や正論を振りかざしても相手が折れてくれるとは限らない。交渉の相手にも感情や事情はあるので、そこと折り合わせていく作業が必要である。「社会」とはつまりそのような様々な誰かの感情や事情が複雑に絡み合うことによってできている「交渉相手」ではないか?


12

手段はひとつとはかぎらない。


13

表舞台に出てくる言葉は、実際に秘密裏に進行した様々な事実の総体の、ごく一部を表す氷山の一角にすぎない。


14

Pの噂は信用ならない。


15

Pは話題がなくなるとすぐに誰かの悪口を持ち出したがる。あるいはその業界の閉塞感や未来の無さを語り出す。


16

Pは大抵何かしらの不満を抱えている。それは決して悪いこととは限らないが、しばしば不満に溺れることもある。


17

「社会」とはかつてのPたちがあらかじめ作った大きくて動かしがたいものとして存在しているものではない。確かに先駆者の功績はそこにあるけれども、すべての新しくやってきたPが社会の構成員でありうるし、学生も、ホームレスも、もちろん芸術家もその中に含まれうる。


18

「公共性」とは、思想・人種・宗教・階層など立場や価値観の異なるPたちが、様々な回路(議場やメディアやSNSや井戸端会議)を通して主張や交渉をすることによって形成していく、一種の暫定的な「合意」ではないか?


19

言うまでもなく最初から「社会」やら「公共性」やらが無条件に存在しているわけではない。どちらもPがつくったものである。


20

「アート」は一部のPのみ享受するものであり、「エンターテインメント」こそがひろく受け入れられるものだ、といった古びた区分けは早晩無効になるだろう。


21

学問や芸術、およびそこに触れたり行き来したりするPたちに対するルサンチマンは、今も世の中に一定数存在している。残念ながら。


22

インタビューを受けたり批評を書かれたりすることによって、Pの持つ語彙が開拓されることがある。無理にみずからの言葉を絞り出すのでなくとも、何かしらの負荷を外部から得ることによって言葉が生まれることがある。


23

エネルギーのない状態では何も喋れない。無。……まず始めに口が動きだすための何かしらのエネルギーの投入が待たれる。滑り出せば、あとは流れをうまく運ばせればよい。たまに、水分補給。


24

時として、違和感のある言葉は重要である。流れが変わる。


25

Pはしばしば萎える。いったん萎えると、そこからすぐに体勢を立て直すのは難しい。


26

睨み合いや三すくみのような膠着状態の中でも、ピエロ的なPがひとりその場にいれば大体の問題は解決する。


27

日頃から言葉への感性や筋力を鍛えておかないと、どんな外部の言葉(批評など)も血肉にならないしただ通り過ぎていく。せいぜいそれは、情報宣伝にとって利用できる言葉くらいにしか認知されないだろう。


28

批評行為はPに恨まれるし、緊張感あるし、そのわりに実入りは少ない。


29

Pは、自分にとって都合のよい言葉を求めてしまうことが多い。


30

批判をされたPは頭に血がのぼっていることがある。


31

喧嘩をするのは必ずしも悪いことではない。それもまたコミュニケーションのひとつの方法ともいえる。


32

Pには大抵幾つかの、それを言われると激昂するようなNGワードがある。


33

Pには「機嫌」と呼ばれる要素があり、その状態次第で耳の感度も変わる。


34

Pはしばしば、最初の一歩を自分が踏み出すことに躊躇する。


35

あるいは本人(中心人物)でなくても、傍にいるPが言葉にできる力を持っているかどうか。異なる質の言葉を、チームとして持てるかどうか。


36

獲得した言葉で他者に説明することによって、言葉がより反復され、錬磨され、それが作品にも反映されていくような循環はありうる。


37

例えば地道にワークショップを続けることで出てくるような芽が、芸術の社会的意義を結果的に証明するようなことがある。


38

何かしらの事実に立脚したものでないと、言葉はまったく空虚にカタカタと寂しく鳴る。


39

PはPを育てる。ただしものすごく時間がかかる。


40

自分でやったほうが早い、としか思えないPはたぶんそこまでである。


41

世界は広い。Pもたくさんいる。地球の人口は70億人を突破した。


42

「継続年数」は言葉に幾らかの説得力を付与する。


43

Pはパンのみによって生きるにあらず。


44

お金は大事だよー♪


45

金は天下の回りもの!


46

芸術が、生活にとって不要な余剰であり、高貴な暇Pの嗜みであったとゆう時代はたぶん終わろうとしている。生活と芸術との新たな蜜月関係に向けて。


47

音楽がなくてもPは生きていける(生存はできる)。


48

NO MUSIC NO P's LIFE!



とりあえずこんな感じで。Q