12/25 ナカフラ

川崎市アートセンターアルテリオ小劇場で、中野成樹+フランケンズの『ゆめみたい(2Lp)』を観た。これは感想を書くのが少し難しい感じの舞台だった。(下手側の最前列で観ました)

まずコンセプトは分からなくはない。舞台構造を左右2つに分けるのは、ステレオ的でもある。全部が見えない、とゆうやり方も、聴取体験(観劇体験)を批評的に捉えているのだとゆうことは分かる。また、シェイクスピアの『ハムレット』に対する新解釈の提示でもあるし、物語とか、いわゆる「劇的」であるとはどうゆうことか、を捉え直す作業でもある。

ただ、これがワークインプログレスでの発表とかならいいのだが、本公演としてはどうなんだろうと思った。ちょっと、圧が足らないのではないか。シェイクスピアについて日夜考えているような人にとってはクリティカルかもしれないけども、一般のお客さんはそこまでその解釈には興味がないのだし、舞台としてもう少し楽しめる(圧倒される)要素があっていいと思った。2年とゆう歳月をかけて準備してきたそうだけども、逆に、考えすぎてしまった(手をかけすぎてしまった)とゆうことなのかなあ……。あるいは、ここまで「ゆめ」のようにした状態から、この先に何を見出すのか?……のほうが気になる。

劇的な部分が抜かれた結果、構造の骨組みがはっきりと出て来た感じはあって、そこに浮かんでいる人たち(俳優や、役人物たち)がフラフラ漂っている様は面白いし、誰もが、にくめない感じになっている。真実がどこにあるのか掴みようのない感じは、まさに、ゆめみたい、ではあるし、亡霊のようでもある。こうした舞台は時間をかけてじわじわと観劇者に浸透していくものではあるだろうから、性急に結論づけなくていい気はしてるけど、もうひとつ、グッと踏み入ってくるようなところが欲しかったとゆうのが、現時点での率直な感想です。あと俳優としての中野成樹、面白かったな……。ナカフラの人たち、基本的になんか好きだなあと思った。個人的にはナカフラには、生と死の問題に、より深く(しかし彼らなりの飄々としたやり方で)踏み入っていって欲しいなあと思っています。勝手に、ですけど。



帰りに新宿で赤から鍋を食べて帰る。思ったより辛くなかった。一緒に行った人とはcore of bellsの話ばかりしていた。吾妻橋で観た「デス番長」が気に入ったとゆうのだが、実際は「ゲス番長」だったよ、としぶしぶお伝えすると、少し、しょんぼりしていた。


夜は、ツイッターのフォロー数を0にした。かねてから計画していたことだった。特にツイッター疲れとかではなく、正月を清々した気持ちで迎えたかったのと、あと、いろいろ集中していきたいことがあるので。来年のスタイルに向けて、徐々に、肉体改造です。

しかし、鼻水が止まらない。Q