12/27 カプカプと、リトル・ピープルの時代

ひさしぶりにカプカプに行った。絵のワークショップの日で、先生としていらっしゃってたミロコマチコさん、とても素敵な方だった。こないだの、ほうほう堂+DJsのフライヤーの絵も描いたりしてる人みたい。みんなはとても元気だった。

時間の流れがまるで違う。年末ってこともあるけれど。

来年は、半分くらい(気持ち的に)東京にいないだろうな、と漠然と思う。


宇野常寛『リトル・ピープルの時代』を読んでいて、村上春樹論とかよく出来ていて面白いと思ったけれども(いつか村上春樹については書きたいと思っていたけどその欲望もこの本を読んでたぶんほぼ解消されてしまった)、しかし、この本の主語である「私たち」に、わたしは半分は含まれるけれども、半分はこぼれてしまっているような感覚をどうしても拭えないのだった。拡張現実の時代、の意味するところも、半分は理解できる。確かにわたしはそのような時代を生きているのだと思う、半分は。けれども単純に「外部」は存在するのではないかとも思う。やっぱりここに書かれている「私たち」は、日本人の、東京在住の、ネットに淫している人たちではないか、と思えてしまう。その感覚も分からないではないのだが、でも、まだまだ未知の「外部」は存在しているのではないか?


励滋氏と、ひそやかな忘年会。Q