12/28 時間堂『星の結び目』

風邪が治りきってないけれども、時間堂『星の結び目』を観に行く。面白かった。ツイッターでも書いたように吉田小夏の脚本は良いと思った。マクガフィンに対するこの繊細な愛着は彼女の武器だと思う。ただ、だとすれば、もっと執着を見せるとか、もっともっと繊細になるとか、何か淫するもの、妄念のようなものがないと、まだ弱いとわたしは思う。綺麗にすんなりと流れていってしまう。それもまあ、美しいかもしれないのだが、結局のところそれでは、良くある物語の範疇を抜け出ることはできないように思う。すでに様々な物語が紡がれている現代において、あえてそれでも物語を描くのだ、とすれば、やはり、その人にしか描けないような領域にまで踏み込んでいく必要があるだろうとわたしは思っていて、ではそれはなんだろう、といったことを考えるのだった。

役者の縁起にはバラツキがあった。といっても、上手ければいい、みたいなことではなくて、こういった形で下手な身体を舞台に乗せるのであれば、それはそれで構わないので、それを乗せる土壌のようなものをもう少し構築する必要があるのではないかと思った。そこには、例えば語り口、のようなものがあるだろう。そこに独自のものがやっぱり何かないと、下手なものが単に下手に見えてしまうと思う。オーソドックスな演劇、はもはや存在しえない。たとえオーソドックスに見えたとしても、それは、そのような方向に特化された、特殊な演技様式でしかありえないのではないか。


井の頭線から吉祥寺で乗り換えて、西荻窪で降りる。ひとり戎で呑みながら、遠方から帰ってきた友人を待って、一時間ばかし、これまたひそやかな忘年会だった。Q