マンスリー・ブリコメンド(2012年5月後半)

マンスリー・ブリコメンド、5月後半です(コンセプトはこちら)。わたしは例によってCoRich舞台芸術まつりの最終ノミネート作品はブリコメンドから外しています。なお、東京デスロック『モラトリアム』に関するわたしの記述を一部変更しました。


藤原ちから/プルサーマル・フジコ

1977年生まれ。編集者、フリーランサー。BricolaQ主宰。高知市に生まれる。12歳で単身上京し、東京で一人暮らしを始める。立教大学法学部政治学科卒業。以後転々とし、出版社勤務の後、フリーに。雑誌「エクス・ポ」、フリーペーパー「路字」、武蔵野美術大学広報誌「mau leaf」などの編集を担当。プルサーマル・フジコ名義で劇評等も書く。共編著に『〈建築〉としてのブックガイド』(明月堂書店)。たまにトークイベント「スナックちから」(@清澄白河SNAC)もやってます。「CoRich舞台芸術まつり!2012春」審査員。twitter:@pulfujiko

【今回のブリコメンド】
乞局 奇譚集2012『EXPO』
■東京デスロック『モラトリアム』
■鳥公園 小鳥公園#2『すがれる』横浜バージョン


日夏ユタカ(ひなつ・ゆたか)

東京都出身。日大芸術学部卒。日本で唯一の競馬予想職人を名乗るも、一般的にはフリーライター。80年代小劇場ブームを観客&劇団制作として体感。21世紀になってからふたたび演劇の魅力を再発見した、出戻り組。10月25日に『サラブレッド穴ゴリズム』 (競馬ベスト新書)を刊行。http://amzn.to/qOBCmC twitter:@hinatsugurashi

【今回のブリコメンド】
■東京デスロック『モラトリアム』
バナナ学園純情乙女組『翔べ翔べ翔べ!!!!!バナ学シェイクスピア輪姦学校(仮仮仮)』


鈴木励滋(すずき・れいじ)

1973年3月群馬県高崎市生まれ。地域作業所カプカプ(http://kapukapu.org/hikarigaoka/)所長を務めつつ、演劇やダンスの批評も書く。『生きるための試行 エイブル・アートの実験』(フィルムアート社)や劇団ハイバイのツアーパンフに寄稿。twitter:@suzurejio

【今回のブリコメンド】
三条会ひかりごけ


カトリヒデトシ

1960年、神奈川県川崎市生まれ。大学卒業後、公立高校に勤務し、家業を継ぎ独立。現在は、企画制作(株)エムマッティーナを設立し、代表取締役。カトリ企画UR主宰。「演劇サイトPULL」編集メンバー。個人HPは「カトリヒデトシ.comtwitter:@hide_KATORI


徳永京子(とくなが・きょうこ)

1962年、東京都生まれ。演劇ジャーナリスト。小劇場から大劇場まで幅広く足を運び、朝日新聞劇評のほか、「シアターガイド」「花椿」「Choice!」などの雑誌、公演パンフレットを中心に原稿を執筆。東京芸術劇場運営委員および企画選考委員。twitter:@k_tokunaga

【今回のブリコメンド】
★ステージ・チョイス!(徳永京子オススメステージ情報)
http://www.next-choice.com/data/?p=7126









乞局 奇譚集2012『EXPO』

5月18日(金)〜23日(水)@神保町 スタジオイワト(神保町、水道橋)http://kotubone.com/next.html

わたしが乞局っていいなと思ってるところは、その場末感溢れる世界と、そこから醸し出されてくる淫靡さである。この「奇譚集」は短編集でありいつもの本公演とは構成が異なるが、昨年の「奇譚集『標本』」は、蜻蛉や蝶をモチーフに、性愛の終着点のような場所を描いてみせた好作品だった。
今回は「EXPO」、つまりは万国博覧会の「'70・'75・'85・'88・'96」それぞれにおける形を描くらしい。20世紀の夢と、その頓挫、ということになるのだろうか。乞局ウェブサイトに記されている各博覧会のテーマを並べてみると次のようになる。「人類の進歩と調和」「海──その望ましい未来」「人間・居住・環境と科学技術」「自由──躍動する未来の創造」、そして中止。人類は果たして、進歩、しているのでしょうか?(フジコ)




東京デスロック『モラトリアム』

5月19日(土)〜20日(日)@STスポット(横浜)http://deathlock.specters.net/

ある時期、東京デスロック主宰の多田淳之介は演劇の可能性を探っていた、はずだ。どこまで演劇の領域を広げられるか、を。しかしまた、演劇でなければならない、との固定観念から脱しようとした時期もあったように思う。しかしそれでいながら、いまなお彼が演劇の枠内に屈強に踏み止まっているのはたぶん、もっと遠くへと飛び立とうと図ったがゆえにあらためて演劇の自由さや強度を再確認したからではないだろうか。
そしていま。『再/生』での全国ツアーを終えた東京デスロックと多田淳之介は、演劇でなにができるのか、という問いにはすでに決着をつけ封印し、自分たちになにができるのか、という命題に移行しているように思える。
では、描かれようとしているモラトリアムとはなにか?
宣伝文には、こんな風な説明も添えられている。

【 モラトリアム moratorium 】(小学館大辞泉」より)
1 支払猶予。法令により、金銭債務の支払いを一定期間猶予させること。
 戦争・天災・恐慌などの非常事態に際して信用制度の崩壊を防ぎ、経済的混乱を避ける目的で行われる。
2 製造・使用・実施などの一時停止。核実験や原子力発電所設置などにいう。
3 肉体的には成人しているが、社会的義務や責任を課せられない猶予の期間。また、そこにとどまっている心理状態。

つまり、おそらくこれは、いまを生きるわれわれの、未来のために与えられた時間。その「8時間×2日間」は演劇作品としては長いけれど、じつは案外と少なすぎる猶予期間かもしれない。(ひなつ)
ヨコハマ経済新聞 http://www.hamakei.com/headline/6969/

このコーナーをずっと見てくださっている方は、日夏ユタカさんとわたしのブリコメンドする作品・劇団が往々にしてかぶってることにお気づきかと思いますが、東京デスロックはその最たるもの。日夏さんがすでに素敵な紹介文(↑)を書いてくれているのでこれ以上何をか言わんという感じですけれども、幾つか付け足します。
まず(1)参加アーティスト:先日の「マームと誰かさん」で大活躍し、現在イギリスツアー中の大谷能生も「参加アーティスト」の1人に名を連ねる。果たしてどのような関わり方をしているのか。同じく出演のダンサー・岩渕貞太とも何度か組んでダンス公演を作っているので、2人のセッション感が何かしらの形で持ち込まれるのかもしれない。あとわたし的にはなんといっても「Enric Castaya Orchestra」の名前に震撼をおぼえる! エンリク・カステーヤは、わたしの観劇人生に多大なる影響を与えた人物なのです(プルサーマル・フジコには何人かのモデルがいますが、そのうちの1人)。ひさしぶりの登場だわ……。いったい何をやるんだろう?
それから(2)ルール:13時以降、いつ入ってもいいし好きな時に出ていいけど、(トイレ休憩を除いて)再入場不可という特殊な「入退場自由」ルール。8時間、全部観て留まり続けるもよし。無理せず好きなだけ観たら抜けて、あとはオトナの横浜散策に移行するもよし。わたしは流れに身を任せることにして、ともあれ、STスポットに向かってみます。(フジコ)




バナナ学園純情乙女組『翔べ翔べ翔べ!!!!!バナ学シェイクスピア輪姦学校(仮仮仮)』

5月24日(木)〜27日(日)@王子小劇場(王子)http://banagaku.xxxxxxxx.jp/

今回のバナナ学園は、シェイクスピアをモチーフに「演劇をやる」、という。ここ最近は総勢50人ほどの大所帯で“おはぎライブ”と題したショー要素の強い作品を上演しつづけていたので、逆の意味で挑戦、実験的な公演になるのだろう。
個人的にも、“おはぎライブ”の完成度が高まるにつれて必然的に生まれてしまった安心感、手なれた狂騒空間にすこし居心地の悪さも抱いていたので、今回の企みにはかなりワクワクさせられている。なにより、その存在が空間を歪め、重層的な時間をバナナ学園にもたらしてきた浅川千絵の復活や、サンプルやままごとのドラマトゥルクでもある野村政之が「進路指導教師」としてクレジットされていることにも期待大。
もちろん初見の方は、そんなことはまるで気にせず、パワフルで膨大な情報量と熱量に圧倒されればいいと思うのだけれど(笑)。(ひなつ)
※参考インタビュー
@ぴあ「今週のこの人! 二階堂瞳子http://www.pia.co.jp/konohito/nikaidotoko/index.php




鳥公園 小鳥公園#2『すがれる』横浜バージョン

5月24日(木)〜28日(月)@BankART Studio NYKホール(馬車道桜木町http://birdpark.web.fc2.com/

大阪(芸術創造館)、北九州(京町銀天街・喫茶ファンファン2F)と旅をしてきた作品の完結編。ツアーといっても同じ作品を回すのではなく、「すがれる」という言葉のイメージをたよりに、ある土地や、そこに生きる人たちの力や、武者小路実篤室生犀星といった文学者の言葉を吸い上げながら(もしくはそれらに打ちのめされながら)、それぞれ別の作品をつくってきた。今回の横浜バージョンでは、これまでの森すみれと若林里枝に新たに2人の俳優が加わり、おそらくはスケールアップした集大成ということになるんでしょう。
2作品に共通していたテーマはひとつには「老い」であり、そこにおいて「私」という主体性が溶けて変容し、時には誰かと入れ替わり、あるいは消えてしまうことであった。その試みはひとりの人間というちっぽけな存在よりももっと大きな時間の流れやつらなりを感じさせるものだった。と同時に、それでもなお、ある個体としてしか生きられず、つまらない欲望を持ち、呼びかけ、傷つき、しかしながら誰とも同化することができず、ただ沈黙したり言葉を発したりするしかない人間のあわれな切なさを感じさせもするのだった。
近年の演劇は、良くも悪くも演出の切れ味が勝負であると目されてきた、と思う。そこに演出家の美意識やカンパニーの特徴が如実に現れてくるからだ。多くの演劇ファンの興味や感動もそこに集中しているのではないだろうか。明瞭に言語化されたものや、答えや、共同性や、敵や、熱狂が、求められる時代ではあるので、そうした技法的な切れ味に耳目が集まる傾向はまだしばらくは続くのかもしれない。しかし何人かの優れたアーティストたちは、おそらくもうすでにそうではないものへの感受性を伸ばし始めている(あるいはずっとそうしてきた)はずだ。……さて、その点でいえば鳥公園はどうだろう? 彼女らには遅れやのろさのようなものが常に付きまとってしまう。どんどん鋭く次にいけるという感じではない。いちおう作品を見続けてきた者のひとりとして、もう少しなんとかならないものだろうか、と思うこともないではないけれど、仮にある人間が何か言葉を発しようとして、突如としてその声を失ってしまう……あるいは数秒間の吃音と共に、木偶の坊のようにたたずむほかない、といった瞬間もあるはずで、そしてその一瞬の空白にこそ、虚飾にまみれた楽しさとは全然別の、わたしが畏れてやまないもの/やんごとなく惹かれてしまうもの、があるような気がする。その置き去りにされた時間・空間への真摯な感覚という点では、今、数多ある劇団の中で、鳥公園がもっともそこに近い場所にいる、というふうにわたしは思っています。(フジコ)




三条会ひかりごけ

5月30日(水)〜6月3日(日)@下北沢ザ・スズナリ(下北沢)http://homepage2.nifty.com/sanjokai/02.html

結成15年を迎える三条会が正念場を迎えている。
今まで三条会関美能留に、作品を好き放題に換骨奪胎され自らの署名が霞んでしまった古今東西の書き手たちの呪いなんじゃないかしらと、非合理なこと思うほど生え抜きの俳優がたてつづけに退団していった。中村岳人、橋口久男、大川潤子...
それぞれに異なる事情があるようだが、7年ほど前からの古くはない観客であるものの、ほぼ全ての公演に足を運んでいる者としては、寂しくもあり気がかりでもある。
けれども、大川はともかく、初めて観たときにはここ以外に生息は難しそうだと直感させる希少種みたいな中村や橋口のような俳優たちを、半年に一度は彼らのアクの強い演技を摂取しないとなんだか具合が悪くなっちゃうってなところまで仕立て上げる三条会のことだ、きっとさらなる怪優を生み出してくれるに違いない。(もちろんわたしは、舟川晶子も含む、彼/女たちが帰ってきてくれる日をいつまでも待っているけれど。)
そんな不安と期待のざわめきの中で、今回まな板に乗せられた素材は武田泰淳原作の『ひかりごけ』。2001年に第2回利賀演出家コンクールで関に最優秀演出家賞をもたらした出世作にして、国内外で再演を繰り返す三条会の十八番。今までもマイナーチェンジを繰り返してきたが、なんと今回は過去の作品の痕跡を残さぬほどの新演出だという。10年以上も評価の揺るがない代表作をいよいよ更新しようというこの試みから、変わりつつも変わらない三条会の強い想いを受け取って、ただひたすら祈るような気持ちで幕が開くのを待っている。(励滋)