マンスリー・ブリコメンド(2012年12月後半)

マンスリー・ブリコメンド、12月後半です(コンセプトはこちら)。今年もお世話になりました。よいお年をお迎えください。

なお公演名の色について。関東ローカルなものは「青」、関西ローカルなものは「ピンク」、それ以外の地域を含むものは「紫」で表記しています。Q


★メンバーのプロフィールはこちら。http://d.hatena.ne.jp/bricolaq/20120930/p1


今回のブリコメンド

藤原ちから/プルサーマル・フジコ twitter:@pulfujiko

■ロロ『いつだって可笑しいほど誰もが誰か愛し愛されて第三小学校』
■中野成樹+フランケンズ『ナカフラ演劇展』国内巡回・横浜公演
■Q『虫』
■鳥公園『ながい宴』
■HARAJUKU PERFORMANCE+DOMMUNE 2012
バナナ学園純情乙女組-THE FINAL- 『バナナ学園大大大大大卒業式 〜サヨナラ♥バナナ〜』

日夏ユタカ(ひなつ・ゆたか) twitter:@hinatsugurashi

鈴木励滋(すずき・れいじ) twitter:@suzurejio

カトリヒデトシ twitter:@hide_KATORI

徳永京子(とくなが・きょうこ) twitter:@k_tokunaga

★ステージ・チョイス!(徳永京子オススメステージ情報)
http://www.next-choice.com/data/?p=11130


西尾孔志(にしお・ひろし) twitter:@nishiohiroshi

ヨーロッパ企画『月とスイートスポット』

落雅季子(おち・まきこ) twitter:@maki_co

バナナ学園純情乙女組-THE FINAL- 『バナナ学園大大大大大卒業式 〜サヨナラ♥バナナ〜』

古賀菜々絵(こが・ななえ)







ロロ『いつだって可笑しいほど誰もが誰か愛し愛されて第三小学校』

12月15日(土)〜26日(水)@新宿眼科画廊(新宿)http://llo88oll.com/

ロロの最高傑作と言えばこれ!、と推す人も多いだろう傑作が、再々演として登場。わたしは2年前の再演バージョンをやはりこの新宿眼科画廊で観て、とても感動したのを覚えている。今でもあの名シーンの情景が目に浮かぶ……。ロロのボーイ・ミーツ・ガールものの特色は、いつも最初から運命的にセットアップされている「出会い」にあるのではなく、むしろその気持ちの「届かなさ」にこそあるとわたしは思う。だからこそ、せつないのだ。そこにはいつも「死」の影がある。最終的に、いつかは離ればなれにならなければならない人間の、普遍的な孤独。それこそがロロが描き続けてきたもののような気がするけども、とにかく、この作品にはそんなロロの魅力が詰まっているので、まだロロ未体験であるとか、1回観てみたけどちょっとうーん?……とかいう人にもぜひ観てみてほしい名作でごんす。(フジコ)



中野成樹+フランケンズ『ナカフラ演劇展』国内巡回・横浜公演

12月19日(水)〜23日(日)@STスポット(横浜)http://frankens.net/

中野成樹の仕事は未だ(そのポテンシャルの凄まじさに比べて)きちんとした批評的評価を受けているとは思えず、そのことについては、わたし自身も怠慢を感じざるをえない。こんなヤバい人はそうそう現れないのではないだろうか?
ナカフラの武器は「誤意訳」と呼ばれる翻訳劇の方法だ。かなり大胆な換骨奪胎を施して、シェイクスピアブレヒトモリエール現代日本に蘇る。ただ単に舞台を現代風にアレンジするということではなくて、そこにはナカフラ流の重大な解釈と移植手術の妙とがあるのだった。ナカフラはいつも「演劇って面白いのだなあ!」と思わせてくれる。だけどそれは単なる演劇愛では終わらない。中野成樹の根っこには、何か倫理的に、世の中を貫くような強さがあるような気がするのだった。そこに撃たれる。
さて、前回6月にこまばアゴラ劇場で行われた演劇展で初めて登場したシングの『きいてごらんよ、雲雀のこえを』が、今回も〈D2〉プログラムでお目見えする。これはかなりの衝撃作だったので、紳士淑女の皆様におかれましてはぜひお見逃しなきように。選挙が信じられないような結果になった今、とはいえ現実を受け止めなければならない、という2012年の年の瀬のややうんざりしかけの日本人がこの作品を観たら、なんかもうとてつもなくヤバい世界に連れていかれそうな気がする。そういう世界……!(フジコ)




Q『虫』

12月20日(木)〜24日(月)@アトリエ春風舎(小竹向原http://qchan9696.web.fc2.com/

残念ながら、勇ましいばかりの空虚な言葉が歓迎される時代が来てしまったらしい。はわわわわわ……! おっさんたちはかつての好景気時代の栄華を取り戻すことを未だに夢見ていて、そのために若者の自由は制限され、あるいは剥奪され、そして道徳や常識の名の下に、多様なはずの人々は「同性愛者」やら「外国人」やら「婚外子」といったカテゴリーに速やかに仕分けられ差別されていくだろう。絶望だー! 改憲や徴兵制度の導入までにはまだ時間的猶予があるとしても、海の向こうの隣人たちとの関係はますます難しいものになってしまった。一触即発の事態は続く。水に流そう。……流せませんか? とりあえず、各地の原発は着々と再稼働され、すぐにもパチンコ屋に電力を供給し始めるに違いない。暗澹たる未来……。でも、ピンチはチャンス! 生きるのじゃ!

Qの過去の名台詞(?)をちょっとだけ混ぜてみたけれども、舞台にはこんな政治的な話は全然登場しない。彼女たちはただ、おっさんたちの嘘と性欲と加齢臭にまみれた世界の醜さをゴシゴシと消しゴムでこすって消そうとして、うっかり自分たち自身も消去しそうになってしまって、でも結局は消せなくて、リカちゃん人形片手にため息や悪態をついてみたり、時にはきゃーーーっと叫んだりもするけど、最終的には(根はいい子だから)笑顔になってみようとして、でもやっぱりできない。作り笑いは上手ではない。根がいい子だから。でもそれができないからこそ、戯曲を書いたり、舞台をつくったりするのだと思う。……今のはあくまで喩えだけれども、作・演出の市原佐都子には、そうした一種の傷つきやすさ(ヴァルネラビリティ)と、何ものにも媚びない奔放な精神とを感じるのだった。おそらくは誰も彼女を所有できないし、その自由を奪うこともできないだろう(そう感じるのは他にはex.快快の篠田千明くらい)。

『虫』は市原が生まれて初めて書いた処女作ながら、AAF戯曲賞を受賞。幸運にもわたしはその初演(桜美林大学の卒業研究)を観ることができたのだが、とてつもない衝撃を受けた。モノローグを基本としているが、境界が何やら溶けている。斬新な言語センス。そして根の深い暗闇の気配を感じた。Q旗揚げ公演の『油脂越し』にはその暗闇が色濃く漂っていた。続く『プール』あたりからコミカルでユーモラスな側面が強く出てきたけれども、さらに『地下鉄』ではボキャブラリーが増え、描かれる世界がひろがっていく予感がしている。そして今回の『虫』再演。どうなるのかしらねー? 初演時のメンバーからは、マームとジプシーでも素敵な存在感を発揮している吉田聡子と、おフランス帰りの竹中香子が出演。吉田聡子がデザインするチラシはやっぱり今回もセンス抜群だと思う。

これからの未来を生きる若いひとたちは、おっさんたちの夢の残滓に付き合う必要はないと思う。Qの感性は、旧い価値観を無効化してしまうような力を秘めている。わたしはかなり本気でQが最終兵器(旧時代撲滅&新時代発芽ウイルス)だと思っていて、けっこうマジでそこに賭けているのです。
もちろんそんなわたしの思惑とかは全然無視して、彼女たちは彼女たち自身の道を行くだけなのでしょう。Going your way! ともあれ最終兵器Qが気になったとゆう人は下記のインタビューも読んでみてください。初日はすでに売り止めだけど、当日券は少しばかり出る模様。他の日はまだ余裕あるそうです。後半になるにつれ混み合いかねないので、予約はお早めに。(フジコ)
http://d.hatena.ne.jp/bricolaq/20120425/p1




鳥公園『ながい宴』

【北九州枝光公演】12月21日(金)〜23日(日)@北九州八幡東区・横尾邸(枝光)http://birdpark.web.fc2.com/

えだみつ演劇フェスティバル2012のトリを飾る鳥公園。『ながい宴』は築80年の日本家屋を舞台にした遊覧演劇となる予定だという。(なお、同じくフェスティバルのフィナーレ作品であるガレキの太鼓『終わりなき将来を思い、17歳の剛は空に向かってむぜび泣いた。オンオンと。』も一緒に観るという人は、両会場のタクシー代補助などのシステムもあるようなので、主催者に問い合わせてみてください。)
今年の鳥公園は、芸創CONNECTや千代田芸術祭の「おどりの場」でスカラシップを獲得するなど、昨年に続き飛躍の年となった。それは、様々な他者と遭遇することによって生じた混乱を乗り越えて、彼女たち自身のリズムを取り戻していくプロセスでもあったような気がする。彼女たちの思想や方法は、徐々に骨太になりつつある。性急に獲得されたものではなく、ながい時間をかけて得られていったものは、これからのながいながい年月を耐えうるものになるだろう。
作・演出の西尾佳織がいま掴もうとしているのは、時間的・空間的な「距離」の感覚なのだと、『すがれる』の三部作を観て思った。言い換えればそれは「ながさ」への感性でもある。人間も、そして家も、長い年月を経れば朽ち果てていくわけだが、それは果たしてそんなに悪いことなのかどうか。ながい時間が経過して、徐々に滅びを受け入れていくヒトやモノに宿る愛嬌のようなものを、彼女たちは探しているのかもしれない。鳥公園は今回のように古民家を舞台にすることがままあるけれど、その舞台には、ノスタルジーは感じられない。ただそこにあるのは、どこかから流れついてきたような、ヒト、モノ、ひろがる時間。(フジコ)




ヨーロッパ企画『月とスイートスポット』

【東京公演】12月5日(水)〜16日(日)@本多劇場(下北沢)
【大阪公演】12月21日(金)〜23日(日)@イオン化粧品シアター BRAVA!(大阪・京橋)

http://www.europe-kikaku.com/

京都で結成され、今や全国的、かつ、演劇以外のジャンルでも活躍する劇団。今どきな笑いを含んだ会話中心のエンタメ系シチュエーション劇なのだが、舞台装置や劇構造にトリッキーな要素を持ち込んだり、扱う題材のスケールの大きさの中の小さなネタをクローズアップする視点など、作・演出の上田誠の姿勢は信じられる。何か、王道にいながら王道とのズレを大事にしている、楽しんでいる、その姿勢が誠実だと思うのだ。(西尾)




HARAJUKU PERFORMANCE+DOMMUNE 2012

2012年12月22日(土)〜23日(日)@ラフォーレミュージアム原宿(原宿、明治神宮前、表参道)
http://www.dommune.com/harajuku2012/

今年で6回目を迎えるHARAJUKU PERFORMANCE+が、昨年に引き続DOMMUNEとのコラボレーションを果たす。ハイクオリティの映像と音で放映されることになるだろう(会場にも行けます)。わたし的に今回の注目は、22日の公開オーディションイベント。知名度急上昇中の昇り龍こと関西の暴れん坊・子供鉅人や、毎度毎度何かしらの物議を醸しては客席をいろんな意味で凍りつかせているcore of bellsら6組が出場する。ぶちかまして欲しいものです。(フジコ)




バナナ学園純情乙女組-THE FINAL- 『バナナ学園大大大大大卒業式 〜サヨナラ♥バナナ〜』

12月28日(金)〜31日(月)@王子小劇場(王子)http://banagaku.xxxxxxxx.jp/

バナナ学園公演の名物、おはぎライブでは、学ラン、ブルマースクール水着などのパフォーマーが演出・二階堂瞳子の統率の下で歌って叫んで乱舞する。その様子は猥雑かつ混沌としていて、狂騒的な雰囲気に飲まれる楽しみはただの観劇体験を超える。時にはパフォーマーが観客との垣根を踏み越えて近づいてきたり、その逆で観客がステージに上げられることもある。揺れるサイリウムの光、劇場にみなぎる背徳的な熱気、怒濤のオタ芸に酔わされた事を私は忘れない。家に帰ったら鞄の端っこに、公演中に飛んできたワカメが付いてたこともあった。本当に楽しかった。でもそれも今回で最後だ。バナナ学園純情乙女組は、本公演をもって解散する。
チケットは通路側のスーパーリンクサイドシート(SR席)と通常席が用意されていて(その他にもコスプレ割引など各種あり!)これまでバナ学を観た事がない方はSR席を購入することはできないとのこと。観客全員が安全かつ不快な思いをすることなく公演を終えるためには、必要な措置なのかもしれない。でも私にはそれが、バナ学が示した小さな抵抗にも思える。だって今回が初見の場合、スーパーリンクサイドで観られる機会は二度と来ないのだから。
演劇を「楽しむ」ことが「消費する」ことと同じではいけないと、私は彼女たちに教えられた。バナ学がインターネット上に溢れるオタク的記号を散りばめて享楽的なステージを作るのは、「消費されて消えること」に抗うための手段だ。解散の是非は今さら語れないけれど、過激な内容を含むパフォーマンスに対して観客がどういうスタンスでいるべきかは、今も考えてしまう。だから今回、彼女たちと一緒に観客もパフォーマーとの新しい関わり方を探せるといいし、解散しても、ずっとずっと忘れられないカンパニーであってほしい。(落)


バナナ学園純情乙女組のF/T公募プログラム出場とりやめ、こまばアゴラ劇場での公演中止、そして解散決定、といった一連の事件は2012年の演劇界を揺るがすことになった。無責任かつファナティックな言葉が飛び交うネットを眺めていて、二階堂瞳子その人の肉声が聴こえてこないことにフラストレーションを感じていたのは事実。とはいえ、聴く耳を持たれないようなあの状況下での発話が難しかったことも想像はできる。実際何をやっても炎上に呑み込まれてしまうことは避けられなかっただろう。
バナナ学園はそのパフォーマンスの過激さによって広く名が知られるようになったのだが、わたしが初めて彼女たちを南阿佐ヶ谷の小さな小屋で観た時、むしろ感動したのは、その溢れんばかりのホスピタリティに対してだった。いわゆる「観客参加型」みたいなのはあまり好きではないので、いきなり膝に乗られても困ってしまうわけだが、とはいえ不快感を抱くこともなく大いに楽しめたのは、そこに「全力でお客さんを楽しませよう!」とする心意気を感じたからだ。二階堂瞳子がその初心(?)を忘れたとは思わないが、知名度が高まり公演の規模が大きくなるにつれて、座組全体としてその意識共有やアウトプットが雑になったり、増長してしまった部分もあったのかもしれない。
今回、「解散公演について」と題された彼女の文章を読むことができたのだが、これを読むかぎり、二階堂瞳子はきっと大丈夫だと思った。鋭敏な感受性と優れたカリスマ性の持ち主。これからも(形を変えて)つくり続けていってほしいです。
http://banagaku.xxxxxxxx.jp/nikaido_comment.pdf
ところで、様々なものをコラージュしてつくりあげるカオスな世界は、バナナ学園の特徴のひとつだった。通俗的なものから高尚なものまでがまるでガラクタのように拾われ、舞台の上に等価値に引き摺り出される。誰かがそれを選んで持ってきたというより、バナナ学園という集合無意識が寄せ集めてきたようなスクラップの山。うまくハマった時の感動は凄まじいものがあったし、そのためにあのスピードと熱量による狂宴が必要とされたのだと思う。もしかして、まだ観たことがない、という人は、ぜひとも体験しておいてほしい。単なる流行に留まらない、とても重要な闘いがここにはあったように思うから。
最後は年越し公演となる。暗黒の2012年を吹き飛ばすべく華々しく散ってほしい。わたしはかつて、二階堂瞳子を現代のジャンヌ・ダルクになぞらえたことがあるけれど、実際、彼女は魔女狩りの犠牲になり、ある意味では異端者として残酷な火あぶりの刑に処されることになってしまった。まったくこの世界は恐ろしいものだよ。その壮絶なる最期の勇姿、見届けにいきます。だがこれはきっと終わりではない。(フジコ)