マンスリー・ブリコメンド(2013年3月)

3月のマンスリー・ブリコメンドです(コンセプトはこちら)。Q


★メンバーのプロフィールはこちら。http://d.hatena.ne.jp/bricolaq/20120930/p1


今月のブリコメンド

藤原ちから/プルサーマル・フジコ twitter:@pulfujiko

カトリヒデトシ twitter:@hide_KATORI

徳永京子(とくなが・きょうこ) twitter:@k_tokunaga

★ステージ・チョイス!(徳永京子オススメステージ情報)
http://www.next-choice.com/data/?p=12072


西尾孔志(にしお・ひろし) twitter:@nishiohiroshi

古賀菜々絵(こが・ななえ)







デ『名づけえぬもの』

3月12日(火)〜13日(水)@STスポット(横浜)
http://de-kyoto.jugem.jp/

デ、というのは、1989年生まれの京都在住の作家、市川タロの個人ユニットで、2011年に京都学生演劇祭に参加し、GEKKEN ALTERNA ART SELECTIONに選出された経歴を持つ。
しかし私は、彼の作品を観たことがない。観たことがないものをどうしてレコメンドしたいのかといえば、それは理由がある。昨年、ある演出家に「最近気になっている同世代・若手の作家は?」と尋ねたところ「京都の市川タロ君」という答えが返ってきたのだった。その名前を覚えておいて、あとで彼のブログを(http://ichkwtr.blogspot.jp/)探して読んでみた。そしてその、ですます調の端正な語り口に、薄くて硬い真っ白な紙で指を切ったときのような驚きをもって一目惚れしてしまったのだ。
もちろん、心引かれる文章を書く作家が必ずおもしろい作品をつくるわけではないし、言葉だけで演劇は成り立たない。“言葉”をどう使って、身体に落とし込むかという問題は、いつも演出家たちの前にある。そのバランスは非常に繊細なものだし、言葉と身体をつなぐ回路がうまく見つからないことだって多いだろう。彼の文章を読んで、市川タロがその“回路探し”をうまくできる人だということがわかったわけではない。でもクリエイションの上で、自分の試みを時間をかけて検証する忍耐と誠実さを持っている人だ、ということを感じた。
「名づけえぬもの」と題された今回の作品は、自分が自分であるということの定義、すなわち他者との境界を見つめるものになるのではないか。どこまでが自分かを考えることは、どこからが自分でなくなるのか、を考えることでもあるし、それこそが観客と俳優が身体を突き合わせて演劇空間を作る意味のような気もする。
ちなみに冒頭で書いた、私に市川さんの存在を教えてくれた演出家というのは、重力/Noteの鹿島将介氏なのだが、彼は12日のアフタートークにゲストで登場するとのこと。翌13日マチネのトークゲストは、マレビトの会の松田正隆氏ということで、いずれにしてもトーク込みですごく観てみたい。(落)






ミロコマチコ+神田智子 音楽人形劇「オオカミがとぶひ」

3月17日(日)@JIKE STUDIO(青葉台か柿生からバス)http://tsuki-zo.jp/jike-studio/
http://www.mirocomachiko.com/

絵本を作者自らが人形劇にし自らパフォーマンスもするという、ありそうでなかったかたち。絵本は昨年8月末に出版され、「日本絵本大賞」の最終候補になっているのだが、すでに昨年11月に谷中の雰囲気のあるギャラリー「やぶさいそうすけ」にて人形劇としても初演されている。
本人がやるというのもユニークだが、本にはある「言葉」を用いないというのがこの人形劇のキモだろう。『オオカミがとぶひ』にまつわりながらも絵本という表現に納まりきらなかった、作者ミロコマチコの内にあるイメージの世界が現れる。つまりこれは、絵本の再現ではない。
前回も相性の良さを感じさせた、神田智子(ワールドスタンダード)が巧みに使い分けるさまざまな楽器の音色と声も、その世界を豊かにすることだろう。
横浜とは思えない田舎な風景と区切りがない開放的なギャラリーの、壁面にミロコの数々の近作が飾られたなかにこさえられた舞台で、14時と17時の二回公演。たくさんの子どもが観に来るというマチネは楽しそうであるし、作品の重要な要素である「夜」に浸るように観るソワレもきっとよい。
「ミロコマチコの世界 よるとおどろう展」としては3月25日(月)まで。開廊時間は10時から17時で、 休廊は火曜日。(励滋)




地点『トカトントンと』『駈込ミ訴ヘ』

3月7日(木)〜26日(火)@神奈川芸術劇場日本大通り元町・中華街
http://www.kaat.jp/pf/chiten-2013.html

地点の演劇は、緻密に作られたタブロー(活人画)のようだ。そこに、まるで人格から切り離された、それでいて身体の奥底から湧き出す俳優の声が響いて、観る者を吸着する。俳優たちの、身体能力に裏打ちされた美しい立ち姿と声が、地点らしい真摯さと諧謔を両立させている。
昨年初演の作品の再演である『トカトントンと』は、敗戦をきっかけに妙な幻聴が聞こえるようになった青年が、とある作家に助けを求めて送る手紙で、同じく太宰治の小説をもとにした新作である『駈込ミ訴ヘ』は、イエス・キリストの弟子であったユダの、愛憎入り交じる独白。ともに第三者に向かって二人称で語りかけるという体裁になっている。今月初旬から上演が始まっているのですでに二本とも観たのだが、まるで対になるような構成に、2013年の日本を覆う問題意識を呼び起こされてしまった。
戦後。震災後。本作を観ることは、ふたつの時代に共通する何かしらの空虚なムードに光を当てる作業に思えるのだが、それが自分の空虚さなのか、もっと多くの人と共有しているものなのかが、今もよく分からない。でも、この空虚から抜け出すために、太宰みたく川に身を投げるなんてことは、したくないと思う。
公演期間も後半に入ってからのブリコメンドで恐縮ですが、『トカトントンと』は、公演回数が少ないので残すところ24日(日)の二回のみ。当日券も、予約と変わらぬお値段(3500円)です。セット予約など、各種割引もあり。思い立ったら、副都心線と乗り入れが始まった新しい東横線でぜひ神奈川芸術劇場に。(落)






おやつテーブル『お葬式』

3月23日(土)〜24日(日)@RAFT(東中野中野坂上
http://www.geocities.jp/oyatsutable3pm/

気づけば世の女性たちは、いくつ年を重ねても“女子”と名乗るようになっている。女子力や女子会という言葉もすっかり市民権を得て、“女子”の輪郭はどんどん拡大されていく一方だ。それでいて、何とも画一的でイメージの貧困な言葉だと思う。自分たちで自分たちを“女子”と、一括りにするのはもったいないじゃないか、という違和感をつい抱いてしまう。
でもおやつテーブルは、そんな小さな枠に収まらない。演出を務めるまえだまなみ、岡田智代、おださちこ、木村美那子という、年齢もダンスキャリアも様々なおやつテーブルの女性たちは、“少女”のかたくなさ、“母”の優しさ、そして“女”の憂鬱のすべてを持った存在である。「お葬式」という公演タイトルも、おやつテーブルの懐の深さに掛かると、ただ悲しいだけの言葉に聞こえないから不思議。二年半ぶりの本公演、心から楽しみにしています。(落)