世田谷パブリックシアター演劇部 批評課(6日目)

藤原ちから 六日間、中学生たちと批評のワークショップやってみて、率直に言ってどうですか?

柏木陽 逆にちからさんはどうですか?

藤原 えっ、そうですね……。小学生、高校生のワークショップは経験があったけど中学生とは確か初めてで、難しい年齢という先入観がありました。だけど実際会ってみると、すごく面白い子たちで。身体はノイジーで、プロの俳優のようにシュッとはしてないんだけど、なんか魅力的なんですよね。それがぼくには新鮮なんですが、子供からお年寄りまで、いわゆるプロの俳優じゃない人たちと演劇ワークショップをたくさんやってきた柏木さんとしては、そういうノイジーな身体はどう見えるんですか?

柏木 プロの俳優や俳優志望の人は、意図したとおりに動きたいんですね。技術もあるし。でもいわゆる素人は動きに意図がなくて、ポンとやったことがすごく面白かったりする。その方が表現が「強い」気がしているんですよ。

藤原 プロの舞台作品を観ていても、感動するのは、技術でうまく固めたところよりも、たぶん演出家や俳優本人ですら謎であるような変な凄みが出る場面だったりします。ちなみにプロの俳優と作品をつくってみたい気持ちってありますか?

柏木 プロとアマチュアの違いを知るためにはすごくやりたいですね。

藤原 それはちょっとした興味があるという感じ?

柏木 いや、それが創作のモチベーションになるくらいには強い関心がありますね。単なる創作環境とか状況以外での違いがわからないと、日本のアマチュア演劇の位置づけは難しいんじゃないかと思ってるから。

藤原 「キャロマグ」(世田谷パブリックシアター学芸が発行する冊子)の編集とかを通じて世田谷パブリックシアターのワークショップに関わるようになって思うのは、「本当はプロになりたいけどアマチュアに甘んじてる」とかいう、従来のアマチュア演劇のイメージとはかなり違っているんじゃないかということです。今回の中学生たちにも、創作プロセスを重視する理念がすでに共有されてるように感じるから驚きです。世田谷パブリックシアター演劇部を2年やってきたことの蓄積が現れつつあるのかもしれない。演劇と関われるチャンネルが生まれてると思いますね。

柏木 大きな劇場でたくさんのスポットライト浴びる演劇もあるんだけど、「演劇活動」全般からすると山の一部。山頂だけが山じゃなくて、のぼって行くルート全部が山なんだから、たくさんの演劇活動があるんですよね。

藤原 今回、いろんな演劇人から、中学生の批評課って何やってんの?! 観に行きたい! みたいな問い合わせを多数もらっているんですけど(笑)、そもそも演劇ワークショップの現場で何が起きていて、進行役とされる人たちが何を考えて活動しているのかを伝えて行く必要があるなと、特にこの一週間柏木さんとご一緒してて思いました。というのは、演劇ワークショップの即席的な効果を求める声は高まってると思うんですよ。コミュニケーション能力に役立ちます的な。それは方便としては必要で、「社会にとって演劇は役に立ちますよ」って喧伝することで演劇の社会的地位を高めようという話は理解できるんですね。でもそれを方便として受け取らないで、ワークショップに効果やサービスを求める人たちが増えてしまってるんじゃないか。それを正直ね、50、60過ぎたおじさまたちが言う感じならまあしょうがないかなと思ってたんですよ。でも20歳くらいの子たちがすでにそういうことを鵜呑みにして、結果や効果しか見られなくなっているのはぼくはすごく残念だし、危険だとも思うんですね。つまり何も伝わってないわけですよ。演劇ワークショップに関わってきた人たちの思想や哲学が伝わらなくて、表面的・即席的な効果だけが求められるのは……ちょっと60年代的アングラな言い方をしますけど、そんなのは「反・演劇的」ですよ! 演劇やそれに関わってきた人たちへの最大の裏切りだとも思う。演劇はコミュニケーション能力として役に立つから行われるのじゃなくて、そこにまずある、存在していることそれ自体が大事で、そこにいろんな人がなぜか集まってくる魅力的なものだからこそ、対話が生まれると思うんですね。結果的にそこで磨かれるものがある、ということだと思う。人が集まるから。

柏木 言いすぎちゃうかもしれないけど、地域コミュニティのつくりかたって誰も知らないじゃないですか。地域コミュニティって、日本だとたぶんお祭りがつくってたと思うんですよ。お祭りをひらくとみんな集まって来て、準備もするじゃないですか。若い人を手伝わせたりして、徐々に彼らがその祭りの中心軸に入っていったり。小さい頃から「あれは面白い」「かっこいい」という思いを持って近づいていくことで、裏や苦労があることを知り、多層な人間関係を知っていく。利害関係の調整の仕方とかも。そうやってお祭りというハードルをクリアすることで自分の位置と地域コミュニティの作法を知っていくことがかつてあったと思うんですよ。そういうことに慣れていくための場として劇場ワークショップがいろんな場所で起こっていくことは、網の目のようなものを作っていく助けになると思いますね。
あと、個人的には今も「演劇は何の役にも立たないよ」って思ってるけど、そうは嘯(うそぶ)けない。下の世代が困るから。役立たないとは思うけど社会の中で相手を説得してみる、とかいうことを、僕らのところでやらないといけないと思う。

藤原 確かに、仕事としての社会的地位を獲得しておかないと、後継の人がキツくなるでしょうね。ぼくは編集者としてはね、社会の中でいろんな人や組織と関わりながら役立っていくという感覚は強いんですよ。「編集は世の中の役に立ちますよ!」ってアピールしたい(笑)。でも批評についてもそう思うかというとそれは微妙で。今回の批評課も、批評という概念や方法を使って発想をひろげる可能性を開拓したいということでやってるけど、いざ批評家を育てるとなったらぼくはたぶんめちゃくちゃスパルタで、批評する人間は、一子相伝、ひとりの師匠につきひとりの弟子しか育てられないんじゃないか、ぐらいに思ってるんです。批評は愛と距離だ、という話を中学生たちにしましたけど、それは社会に対してもそうで、精神的に社会から離れたりちょっとズレた位置にいることは大事だと思う。だから、中学生たちにはもちろん期待はしてますけど、将来何になるかもわからないし、彼らは彼らで自分の人生を謳歌(おうか)してくれればいいかなって。

柏木 中学生って何者になるかわからない最後の時期ですよね。高校生になるともっと将来を意識するから。でも、自分と近い世界(演劇)に来る可能性はあるかもしれない。それならもう少し伝えておくぞ、とは思ってます。

藤原 演劇ってけっこう潰しが効きますよね、いやほんとに(笑)。総合芸術というだけあって、いろんな感覚が自然に身についていくと思うんですよ。誰か人間と一緒にやるものだし、なんといっても、身体がスッと動けるようにもなるし。

柏木 中学生はみんな嬉々として身体動かすよね。ちっちゃい頃から「走るな騒ぐな」って言われてる東京の子たちが、走れるし騒げるし、そのうえ何かやって上手かったら褒めてくれる人がいて、しかも自分たちでアイデア出してそれが形になるって、喜びしかないよ。でも、「面白くない」って厳しいことも言われるじゃん。振り絞ったものがちゃんとジャッジされてる感じ? そういう、投げて打ち返される場で、捨て身で飛び込む瞬間があるんだよね、演劇は。あの捨て身の瞬間をどこかで知らないと、世の中で立てなくなる気がしてるんですよ。どうせ体験するならここでおやり! 俺たちけっこう受け止める覚悟あるぞ!(笑)

藤原 やっぱり手を動かさないとね……。煮詰まって考える時間も大事だけど、やっぱり手や足を使ってこねくりまわしていく中でうわーって生まれてくるイメージもあるから。そこが演劇ワークショップの面白さでもあるなって、今日、中学生たちが自分たちで発案してシーンつくってくの見てて思いました。あとですね、誰か傑出した子だけがすごい、って話にならない場なのがいいと思うんです。エリート主義とか競争原理で動いてない。かといって全員が桃太郎やシンデレラの役をやるような悪しき平等主義でもない。役割分担も、その場でぶつかって話し合っていく感じがあって、ああこれは醍醐味(だいごみ)だなって思いますよ。

柏木 短時間だとあまり達成できないんですけど、今回は七日あった。でも、ちっとも贅沢じゃないとも思うんですね。これくらいの期間があって初めて、何か見えて来るものがある気がする。もちろん入口として短期間のワークショップがあるのは全然いいけど、それがメインではないなって。

藤原 やっぱり「演劇部」になってるから蓄積もあるし、けっこうこの活動が継続されてるのは画期的なんじゃないですか。
 さっき、お祭りとコミュニティの話がありましたよね。今、残ってたとしても、そういう意味で機能してるお祭りってないんじゃないかと思うんですよね。お祭りって前近代的なところがあるし。近代以降の人間にとってのコミュニティを、お祭りで復活させるのはちょっと厳しいかもしれない。というのは、その「伝統」から排除される人が当然いるわけですよ。でも演劇ワークショップにはマッチョな排除の論理はないし、「みんなで盛り上がろう!」とかではなくて、ひとりひとりの孤独をキープできる気がするんですよね。みんなで一緒に何かをつくることはするけど、その人がその人自身であることは尊重されると思う。それは中学生もよくわかってるんだな、とひしひし感じます。何日か前のこのレポートで柏木さんも語ってらっしゃったように、劇場がやらないでどこがやる、ということ。世田谷パブリックシアターはその面でかなり先進的じゃないかと思ってます。どんなに建物として立派な劇場でも、人がいないと……。

柏木 人ですよね。

藤原 現場の経験と、劇場でやることの意義や理念を積みあげていくのはやっぱり人だし、周辺地域のいろんな人との関係も生まれていくし。批評はやっぱり作品や作家至上主義がベースになっちゃってるし、ジャーナリズムも制度の問題を取り上げはするけど、そこにいる人や理念にフォーカスする言葉が少なかったと思うんですね。きちんと議論の俎上(そじょう)に乗っていなかった。「キャロマグ」もそうですけど、これを機に言葉にしていきたいですね。……あ、時間なのでこのへんで。今回はワークショップに呼んでくださってありがとうございました。


(司会:落 雅季子 2015.04.03)