セルフ・ナラタージュ #02 大道寺梨乃(快快)

2015年2月、TPAMショーケースにて上演された大道寺梨乃のソロ公演『ソーシャルストリップ』English バージョンでのアフタートークでのことだった。客席からの「これはあなたの個人的な物語だったけれど、これからもこういうストーリーを描いていくのか?」という質問に対して、彼女はこう答えた。「この作品はわたしにとってひとつの区切りで、考えることや描くことはこれから変わっていくと思う。今年イタリアに引っ越して、結婚もするし。」と。それを聴いた時に私は、次は彼女に話を訊こうという思いを固めた。変わりゆく最中にある彼女の、これまでの道のりを刻みたいと思った。そして終演後の興奮さめやらぬまま、大道寺梨乃にインタビューのオファーをしたのだった。

(聞き手・撮影:落 雅季子 写真提供:大道寺梨乃 舞台写真:小林由美子



『ソーシャルストリップ』舞台写真より



▼イタリアへのお嫁入り

― 明日からイタリアですね。

梨乃 でもまだパッキングしてないの。後でシノダ(演出家の篠田千明。かつて快快で一緒に活動していたメンバー)が「近所まで行くから会いたい〜」って言ってて。あたしも会いたかったからいいんだけど、でもパッキングしなきゃと思ってる(笑)。

― イタリアには、結婚式の準備をしに行くんでしょう?

梨乃 まずはエウジー(梨乃のフィアンセ)が仕事でいるベルリンに行って、そのあとイタリアのチェゼーナっていう町に一緒に帰って、いろいろ準備するの。それから日本の戸籍謄本をミラノの大使館に持っていって、証明書をもらってチェゼーナの役所に出す。イタリアって、結婚するのに2週間くらいかかるらしいの。何かね「この二人が結婚するけど異議はありませんか?」って貼り出すんだって。で、異議がないと結婚できる。でも、役所の窓とかに適当に貼られるみたい。「ネズミ駆除します」みたいなのと一緒に(笑)。結婚式は7月なんだけど、快快からは誰が来るのかな……こーじ(山崎皓司)が来てくれる気がする。あと絹ちゃん(野上絹代)が行けるって言ってて、そうなるとみちゅ(野上の娘)も来て、シノダも「結婚式は行けないけど、式の前に会いに行くつもり!!」って。

― エウジーさんはどんな人?

梨乃 エウジーは、イタリアのソチエタス・ラファエロ・サンツィオ劇場っていう劇場で働いてるの。自分で4人組のDewey dellっていうダンスグループを組んでて、そのツアーでヨーロッパを回ったりもしてる。

― 相手が日本人じゃなかったっていうのも、梨乃ちゃんには自然なことなのかな?

梨乃 すごいちっちゃい頃から、外国にいつか住む事になるだろうなって思ってた。お父さんが映画が好きで、よく観てたの。それを横で眺めてることが多くて……3、4歳の時。外国映画を観て、自分が今住んでる世界の「外」があるって意識出来たら、気持ちが楽になった。とにかく心配性だったから……(笑)。どうやら地球は大きいらしいって小さいながらに知って、みんな違うごはんを食べて違う言葉を使うけど、身体が汚れるとお湯に入るのは一緒らしい、って気付いて。お風呂入ってるシーン見て「へえ!︎」って(笑)。おもしろいな、行ってみたいなって。知らない文化の中に浸ると自分がどうなるかに興味があった。結婚はいつかするって思ってたけど、30代後半だろうなって。思ったより早かったなー。


2014年、イタリアにて


▼小さい時の自分を満足させてあげたかった

― 今日は、梨乃ちゃんが子供のころから結婚するまでのことを話してもらいながらこれから先どんなふうになるのかなっていうのを訊いてみたいと思ってるのです。

梨乃 あのね、今日話そうと思って、ちっちゃい時のことを思い出してたんだけど……いちばん最初の記憶は、2歳ぐらいの時にベビーカーに乗ってた時のことなの。雨の日は前にビニールを掛けるでしょ。そうすると雨のてんてんがビニールの上にドットみたいにくっついて、それを見て「はあ♥︎これがいいんだよな♥︎」って思ってた。子供って可愛いことあんまり思ってなくて内面がヤバい(笑)。あとはね、小学校入ってから、死ぬこととか戦争とか地震とか、とにかく全部すごい怖かったから、毎晩ダウジングをしてから寝てた……。5円玉に糸をつけて垂らして質問をすると、右回りでイエス、左回りでノーって答えてくれるっていうのを本で読んで。

― えっ、こっくりさんみたいな?

梨乃 毎晩「明日死ぬか?」「戦争が近いうち起こるか」って訊いて、「起こらない」ってなって安心してた。ちょうど湾岸戦争があった頃だったから、最終的に誰に頼ればいいんだろうってずっと考えてたの。「あめりかのだいとうりょう?」って思って、いつも「なんかちがう……わからない!」ってなってた(笑)。でもね、最近それにやっと答えが出たの。それは「誰にも頼れない」。誰がいちばん正しいこと知ってるのかなあって思ってたけど、誰も知らないってことがわかった。これまで、小さい時の自分を満足させるために作品をつくってたとこがあって、『ソーシャルストリップ』はそのいちばんのまとめだったんだよね。だから、これからはそうじゃなくてもいいかな。「頼れる人は誰もいない」「誰もほんとのこと知らない」って、答えが出たから。

― 満足させてあげたかった「小さい時の自分」について教えてほしいな。小学校の時は、どんなことを考えて過ごしてたの?

梨乃 小学校の頃は、いちばんキツかった……。なんか大変だったの。何だったんだろう、あれ……先生とあんまり折り合いよくなかったからかなあ。自分の好きに生きられないっていうフラストレーションがすごかった。集中力が高すぎてちょっとおかしいとこがあったし。家帰ってきて座り込んで、2時間くらいそのままとか。お母さんが「何してるの?!」とか様子見に来るの、よくあった。お話とか考えるのも好きで、一生懸命考えては泣いたり。小説家になりたかったんだけど漢字が苦手だから小説家無理かもって思って、うーん……ってなってた。あ、でもおもしろい事もたくさんあったよ。ヤバイ友達がいてねえ、3、4年生のころがいちばん楽しかった。その時つるんでたのが、「おじん」っていうあだ名の子。おじんはすごい笑いの才能があって、「ちょっと皺目(目に皺を寄せる遊び?)やって〜」ってみんなで言って、それで20分笑い続けたり、まるこちゃんって友だちもいて、おじんと3人で給食室から帰る時に歩いてアチョーって足を上げる遊びをして笑い崩れてたり。あの頃ほんとギャグセンス高かった。自分の好きに出来ないっていうフラストレーションは、中学入ったらなくなったんだけどね。いろんなタイプの友達ができて、ギャルっぽい友達もいたし、オタクっぽい友達もいたし、普通の子とも仲良かったから、すごいのびのびしてた。中学生ん時がいちばん好きにしてたかも。映画ひとりで観に行ったり、自分で服つくって着たり、髪型をものすごいおかっぱにしたりとか。カメラにもはまって写真すごい撮ってた。ルーズソックスはダメだったけど私はニーハイ履いてて、そんな子はひとりしかいないから先生も違反かどうかわかんなくて取り締まらなかったりして(笑)。男の子にもまったく興味なくて、それより自分の世界を突き詰めたかった。中学生の時は、頭ひらきっぱなしで過ぎてったな。90年代を楽しんでた気がする。10代の子って流行ってるもののド真ん中は買えないけど、それに似てるものとか、端っこを味わうみたいなとこあるでしょ。それでも自分たちが流行に参加してる感はあって。……うん、今でも好き、あの感じ。

― 初めて彼氏ができたのは高校生の時?

梨乃 うん、17歳。だんだん学校の外で遊ぶようになって、男の子とも会うようになって。中学の時に比べて普通に女子高生っぽくなった。

― それが『ソーシャルストリップ』にも出て来た「初めての彼氏」なんだね。「好きになる男の子はいつも亀に似ている。」っていう台詞、すごく好きだった。

梨乃 あの子、亀に似てたかなあ……? 似てたかもなー。でもいちばん亀に顔が似てたのは、18歳の時に好きだった子かな。今日の朝もその子のことを思い出してた。役所に戸籍謄本取りに行って「いよいよ結婚するってカンジ♥︎」って思って、でも今まで好きだった子もみんな好きだったのにいいのかなあ……とか(笑)。予備校で一緒だった子なんだけど、結構長く好きだった。本当に好きだったから結婚しようと思ってたけど出来なかったなー。まあ、出来ないもんはしょうがない……よね。

― 「小さい時の自分を満足させるために作品をつくってた」ってさっき言ってたけど、その「小さい時の自分」は、10代の頃からずっと胸の中にいたのかなあ?

梨乃 いつになったら子供の時の感覚を忘れるんだろうってちっちゃい時から考えてて、きっとすぐに忘れちゃうから注意しよう、って思ってた。それでもやっぱり忘れていってるなーって思うけど……。あんまり簡単に子供欲しいって前は思わなかったんだよね。子供は可愛いんだけど、内面では結構ヤバいこと考えてるって思うから……自分がそうだったし。最近は子供可愛いなって思っちゃうけど、自分の中にはちっちゃい時の自分がずっといるなって思う。



▼夢を叶えた20代

彼女いわく「内面では結構ヤバいこと考えてる」子供時代を経て、大道寺梨乃は多摩美術大学に進学することになった。彼女が今も所属する快快(ファイファイ)は、大学の同期メンバーによって結成されたパフォーマンスグループで、リーダーの北川陽子、演出の篠田千明らを含めた集団創作のスタイルを取っていた。明るく華やかなメンバーたちの雰囲気を映し出したような彼らの初期作品は、小劇場シーンの中でもかなり、特徴的なものだったと言える。



― 多摩美術大学に入って、小指値(こゆびち。快快の前身となるグループ)を結成したんだよね。

梨乃 結成は卒制の時だけど、あのメンツでいろいろやりはじめたのは1年生の時。1年の最後にグループを組んで演劇をやることになって。シノダもいたし、絹ちゃんもいた。……やし(中林舞)はいなかったか。こーじもいなかった。天野(史朗)もいなかった。あれ? 意外といなかった(笑)。

― 小指値から快快として活動していく中で、海外に行く梨乃ちゃんの夢が叶っていったと思うんだけど、子供の頃に観た映画の向こう側の世界に、初めて行けたなって思ったのはいつ?

梨乃 初めて自分で行きたくて行った海外は香港で、大学出てすぐの頃に、かなちんっていう友達に誘ってもらったの。ずっとウォン・カーウァイ好きだったし、見るもの全部可愛くていろんなもの買いまくって食いまくって楽しみまくって、帰って胃腸炎で倒れるみたいな旅行をその2、3年で5、6回したかな? 楽しすぎてハマっちゃって。もうかなちんと行ける時あれば行ってた。行って「何これかわいー!」とか言って、買って持って帰ってこれるんだ、みたいな、好きなものにタッチできる感覚が初めて出来たのはその時。それがおもしろくて。ヨーロッパは、その時はあんまり心になかったかな。ユーロ高かったし。香港行きまくった後に、快快でTPAM(国際的な舞台芸術ミーティング)に出ることになって、大学出てすぐやった『My Name Is I LOVE YOU』を英語版にして再演したの。それがベルリンのHAUっていう劇場と、当時のTheater Der Welt(ドイツで行われる舞台芸術フェスティバル)のディレクターだったフリー・レイセンさんに買ってもらえることになって。そこが決まったら他のところからも声がかかって、オランダとスロベニアも行くことになって、快快メンバーのオルガがハンガリー出身だから、ハンガリーも。イタリアもエストニアにも行った。結局『My Name〜』で三年ツアーしたな。

― そこから快快が、海外に出て行くことになったのね。

梨乃 『My Name〜』の初演が2005年で、それが自分としても今までで一番いい演技だったって未だに思うくらい本当に良かったの。あれを超えられるか? って思うとどうしていいかわかんなくて、シノダやみんなと揉めたりして再演は大変だった。それまでシノダのオーダーはだいたい応えられたし、そんなに言葉にしなくても何をしてほしいかわかったの。でも初めて、シノダに何を言われても、わからないし出来ないみたいな感じになっちゃって……快快って、何か問題あるとみんなでそれを話し合うから、あたしも泣きすぎて言葉が出なくなっちゃったりして、すごい大変だった。でもそれがきっかけで、自分でも企画公演をやるようになったの。海外公演の企画も担当するようにもなって、外国のディレクターとやり取りしたり、大変だったけどよかったなっていう公演だった。それが2009年。そこからはツアーで快快が忙しくて、2012年くらいまではかなりいろいろやった。『SHIBAHAMA』とか『Y時のはなし』で日本もヨーロッパも、シンガポールにも行ったし。

― その間に東日本大震災もあったよね。

梨乃 あった! あの時はねえ、快快のみんなと一緒にいわき総合高校の子たちのワークショップの授業をやってたの。1月に授業やった直後で……だから思い入れができた時に地震が来たからすごい、ヤバかった……。みんな無事だったけど……。その年はね、お正月に初めてイタリアに長く行って、エウジーと一緒に過ごしたの。エウジーとは2010年夏のヨーロッパツアーの時に出会って、2011年の初めに付き合いだしたんだけど、いったん1年ぐらい別れてるの。だから付き合いは長いんだけど、恋人だった時間はそうでもない。震災の時は……エウジーがいたから、このまま日本で何か自分にあったらヤバいし、むしろすぐイタリアに行った方がいいと思ったんだけど、その時の「まずいまずい」っていう感覚をエウジーと共有できなくて……同じ体験してないし、いきなり結婚も出来ないし。一緒に住むとかも、向こうが結構ネガティブだったのね。でも私は今すぐそうしないと絶対後悔するっていう気持ちで、それでケンカばかりになっちゃって結局別れた。でもあの後シノダがタイに引っ越したりして、ゆるやかに快快のみんながそれぞれどうしたいかが出て来たっていうか。これからも日本で活動したいのか、違うところでもやってみたいって思ってるかはみんなバラバラになってたから。それで2012年の『りんご』が出来たんだと思う。あたしはすごいツアーしたくて、とにかく海外でツアー出来る作品をつくろうって言ってたんだけど、「やっぱり日本の人に見せたい」って言うメンバーもいて、そういうの聴くと自分がやりたいだけじゃダメだなって。だから、外国で仕事したかったらみんなに頼らないで自分ひとりでやれるようになんなきゃいけないんだなって思い始めた。

― それで、『りんご』(2012年9月)の後に休養することにしたんだね。

梨乃 ちゃんと休んで自分がどうしたいか考えようと思って……『りんご』が終わったらエウジーのとこ行くはずだったんだけど、別れちゃったんだよね……。2013年は『アントン、猫、クリ』のツアーがあってアメリカに行ったけど、夏にはシノダとゴスピくん(渋家のメンバーのゴッドスコーピオン)と、フィレンツェのFabbrica Europaっていうフェスで『The PARTY party』っていう作品もつくった。今思えば、シノダにとってもあれが快快から離れてつくる一作品目になったんだと思う。本当はね、あたしも2013年のうちに自分で公演をやればよかったんだけど、勇気がなかったの。『The PARTY party』は40分くらいの英語のほぼ一人芝居で、作品自体はすごくよかった。だけど、自分は今までやってきたことをただ焼き直してるだけみたいな気持ちにもなって……あんまり、自分自身が新しいことができてるとは思えなかった。シノダとやってる時点で自分ひとりでやるっていうのとも違うし……あっ、電話だ。

 梨乃、篠田千明からの電話に出る。
 この後の待合せの時間について相談したりしている。
 
梨乃 (電話を切って)シノダ、3年ぶりの日本の桜なんだって! そうそう、いつだろ……2013年の終わりかなあ? シノダと二人で、山手線の終電乗ってる時にいきなり「なんかさー!」とか言われて「やっぱり今まで梨乃のことミューズだと思ってたんだよねー」とか言って、「友達ともこないだ話したんだけどー」とか言うの。なんかその友達も演出家で、彼にはすごいミューズがいたんだけど、そのミューズが劇団やめちゃった後に、その人無しだと作品がつくれないっていう風にはなりたくない、っていう話をしたらしくって「あたしも梨乃無しじゃつくれなくなりたくないんだよねー。だから来年はもう誘わないんだ」って言われた瞬間に、高田馬場かなんかに着いて「あ、じゃあねー」って降りてった(笑)。「え?! あ、バイバーイ」みたいな。なんかその時にすごく……放り出されたっていうよりは、救われた感じで……誰かにミューズだったって言われるなんて素晴らしく嬉しかったし、じゃあ、これからはひとりでも大丈夫かもなって思えて。なぜかそれが今も心に残ってる。あたしはシノダにすごい頼ってたけど、向こうもあたしに頼ってたんだって、びっくりした。自分が誰かに頼られることなんてあったんだ、って……。宣言どおり、シノダは次の年の作品には誘ってくれなかったんだけど。あ、夏にピンチヒッターでちょっと出た。でも今年の新作はやっぱり誘わないらしい(笑)。


『ソーシャルストリップ』舞台写真より



▼一生、「東京の女の子」宣言!

2014年10月、横浜の演劇センターFで生まれた一人芝居、『ソーシャルストリップ』は、大道寺梨乃がホスピタリティのすべてを凝縮してつくりあげたソロ作品だった。彼女の部屋を模した空間でおこなわれるそのパフォーマンスは、着ている服にまつわるエピソードを話しながら彼女がひとつずつそれを脱いでいくSocial Stripでもあり、彼女の生きてきた時間そのものが語られるSocial’s Tripでもあった。

― 『ソーシャルストリップ』は、あの狭い演劇センターFの2階から始まって、小さなカフェとか横浜のお絵描き教室とか、とても親密な空間の中での上演を重ねていって、梨乃ちゃんとお客さんとの相互的な豊かさを生んだ作品だったと思う。快快の大道寺梨乃じゃなくて、ひとりのアーティストとしての時間が持てていたように思うな。

梨乃 『ソーシャルストリップ』をやるたび、観に来てくれたいろんな人とそれぞれのちっちゃい空間を持てた気がする。あと、私がもうすぐ日本に居なくなるから友だちみんなが会いたいって言ってくれて、そのたびにそこにしかないちっちゃい空間がいっぱいできる。これまでは、ひとりのアーティストとしての時間を持つっていうことがどういうものか、イメージできなかった。それはストイックで大それたもので、辛い感じなのかなって思ってて。でも、そんなに今までの自分を曲げなくてもできるのかもって思えたから気持ちが楽になった。快快で作品つくるのってすごい大変だし、みんながただやりたいことをやるとかじゃ全然なかったから、ひとりになっても自分のやりたいようにやるんじゃダメだろうって、ずっと思ってたの。でも『ソーシャルストリップ』をつくってからは、自分のペースでもいいんだってわかった。快快で作品つくる時はいつも、この作品は宇宙でいちばん面白いって思ってるのね。今もそれには疑問がなくて、大学の時からこのメンバーでつくるものは宇宙一面白いから、大工さんとかイヌとか偉い人とか偉くない人も、どんな人でもみんなホントに観に来ればいいのになーって思ってたんだけど、ひとりでやり始めてみたら、自分の作品が宇宙一面白いなんて全然思えないの。だけど、どこかにこれを観たい人はいるだろうなとは思える。もしかしたら快快の時よりも、かも。快快はみんなとつくってることに重きを置いてるから、リハーサルの時点で始まってるっていうか。だけどひとりでつくる時はお客さんが観て参加してくれて、初めて形になる。

― 結婚してイタリアに引っ越して、これから先、自分がどう変わっていくと思う?

梨乃 今年はもう、ひとりでは大きい公演はやらないで、とりあえず引っ越して生活を始めてから、来年違う作品をやりたいなって思ってる。東京に1か月くらい帰って来てリハして。本当はできたら出演してほしい人をみんなイタリアに呼んでリハしたいけど。東京で何かつくるのは、自分にとってやりやすいの。観てくれる人が絶対いるし、規模さえそんなに大きくしなければ何とかやれるから。本当は、イタリアでやれることをこれから考え始めなきゃって思ってて。でもそれには向こうの人の協力がいるから。東京だと、「これ出来なーい!」って言うとオバマ(小原光洋)がやってくれるとか、「ノロ加藤和也)どうしよー!」っていうとノロが助けてくれるとか、そういう人が周りにいてくれたけど、向こうにはまだそれだけの信頼関係がつくれてないから。イタリア語も達者じゃないし、ドキドキしてる。

― でも、東京を大切にしつつ、イタリアのことも創作の足場として並列に捉えてる感じがする。もちろん、現時点で出来ることは東京が一番多いと思うけど、同じ地球の上にある一つの町として捉えてるたくましさがすごくあるよね。

梨乃 一生「東京出身」で売りたいなとは思う。「東京から来た女の子です!」って、それなりに魅力がある気がするから。へんな話だけど、あたしもっとおもしろくなりたい(笑)。なんか、不安に思ってるのかも。イタリアって古いしきたりとかがある古風な国だから、波が早い東京とはやっぱり全然違って……。イメージの中ではイタリアに引っ越しますって言うとマダム的な? ロハスっぽいの? とかになっちゃってヤバイ、おもしろくない! って思っちゃって(笑)。エウジーが嫌がるかもだから女体盛りパフォーマンスとかできなくなるし……とか。

― なんでおもしろいのがいいの?

梨乃 えっ……何だろう。年取った時に、お金があってもつまらないと早く死んでほしいって思われるだけだけど、お金がなくてもおもしろければ長生きしてほしいって周りから思ってもらえるでしょ(笑)。なんかね、うちのおばあちゃんがそうなの。おもしろいから、長生きしてほしいの。

― 大丈夫。どんな環境になってもおもしろい人はおもしろいっていうか、おもしろくあらずにはいられないって感じ(笑)。それは絶対大丈夫だと思う。

梨乃 うん、おもしろいほうがいい。

― ところで明日からイタリアに行って、帰国はいつになるんでしょう?

梨乃 4月21日に帰ってきて5月にKAAT(神奈川芸術劇場)で『再生』やって、6月にイタリアに戻る。8月にまた日本に戻って来るけど。新婚旅行と称して、行ったことない日本の場所に行きたいな。広島の、原爆資料館行ったことないから。

― 今日はどうもありがとうございました。




イタリアに旅立つ直前の彼女の表情を見て、私の胸には「充実」という言葉が浮かんだ。「充実」とは、やたらめったら創作に励んだり、たくさんの恋を経験したりすることではない。時間をかけて味わいつくし、価値観の違いに煩悶しながらぶつかりあい、いつか離れる時が来るまで相手との対話をあきらめないこと。そういう彼女の姿勢こそが、「充実」を感じさせる。彼女は、何か、誰かを好きになることを怖がらず、傷つくことをきちんと引き受ける強さを持っている。たくさんの国のボーイフレンドと恋をしてきた彼女は『ソーシャルストリップ』の中で、「たったひとつしかない私の心は、どこに懐かしさを覚えたらいいの」とせつなげに言った。でも、今まで彼女が恋してきた男の子たちはみんな、彼女のことを懐かしく思っているはずだ。彼女はいつだって、たいへんに心を尽くして、彼らと対話してきたのだから。だから、寂しがらなくて大丈夫。結婚おめでとうございます。いつまでも、最高におもしろい東京の女の子でいてください。


右は井上悠(ヘアメイク、衣装、出演)。『ソーシャルストリップ』舞台写真より



『ソーシャルストリップ』舞台写真より