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いよいよBricolaQオープンの準備が整った。最後に、じゃがいもハニーの2人の写真を絵画っぽくアレンジし、トップのページが少し寂しかったので、意味不明の模様を塗りたくる。それから急いでKAATへ。電車の中で鈴木励滋に会った。ものすごくお腹が空いてたので、ご飯持ってませんか?と訊いてみたけど当然彼は持っていなかった。しかしなんと彼は缶ビールを持っていて……この話はいわくつきで長いのでまたの機会に。そして趣向『解体されゆくアントニン・レーモンド建築 旧体育館の話』を観る。詳しくはワンダーランドのクロスレビュー挑戦編に書く予定。終わって中華街で、鳥爪や空心菜などを食べる。美味いっ!


そしてやっと、BricolaQを告知できた。これからよろしくお願いします。これは、新しいメディア、であると同時に、全然目新しくない。これまでのわたしの活動の延長線上にあるものにすぎないと思います。いろんなもののメタとして、ハブとして、繋いでいけたらいい。ただ、ここから作っていく価値は、価値観は、新しいものです。それをいろんな人たちと一緒にやっていきたい。やっていきましょう。


以下、蛇足ながら。最初にじゃがいもハニーのインタビューになったのは偶然で、藤田くんに話を訊こうとしたら実子ちゃんも一緒に来てくれるというのでこうなりました。彼らに話を聴きたかった大きな理由としては、やはり、地震のことがあります。この地震のあと、わたしはいろんなものが信じられなくなった、というより、信じないようにした。いったん「 」に括って、保留、することにした。だけどもそれは、人を信用してないとか、見切るとか、そうゆうことじゃないのです。誰もが狂いかねないような事態にあったし、今もそれは進行している。全然マシになんかなっていない。その状況で何を頼りに判断していけばよいのか、いったん考え直してみたかったのです。

そんな状況下で狂わないための方法は、鈍感になり、思考を仮死状態で眠らせることだけかもしれない。だけどそれじゃ、あんまり悲しいじゃないですか? 目があり、耳があり、鼻があり、口があり、頭があり、手があり、足があるはずで、ない人もいるかもしれないけど、まああるとして、それを使って、感覚をひらいていきたい。……それでなぜじゃがいもハニーだったか、なぜマームとジプシーだったかといえば、彼らの身体を見ていて、そこに嘘がない、と思ったから。たしかに傷ついてはいた。だけども、それに委ねて舞台を作っていく、そのことに、嘘がないような気がした。傷つきやすさ。ヴァルネラビリティ。そこに嘘がなかった。その身体は柔軟であるような気がした。だけど同時に、それをフィクションとして(舞台として)成立させていく強さがあった。わたしは、あらゆるものを「 」に入れて信じないようにして、だけどそこからまたソロソロと何かを始めていく最初の一歩として、彼らのその感覚と、フィクションを作っていく力を信頼したいと思ったんです。Q