8/15 アルデンテ

毎年この日は玉音放送が聞こえてくるような気がする。朝、ブリコメンド8月後半をアップ。それから新宿眼科画廊地下にて『範宙遊泳の宇宙冒険記3D』。俳優が3人しか出ないのでいつもの範宙遊泳勢に比べると圧の少なさは否めなかったけれども、企画公演と考えればよいと思う。その3人のアクトは良かったと思うけれども特にノモトさん役の埜本さんは、一歩間違えればイタい役なのにあれをやってのけていて凄いなあと思った。他はツイッターに書いたけども、ファミコン的世界観とニヒリズムの融合が山本卓卓らしいと思うし、もっとそこにある絶望について突き詰めてほしい気はする。坂本ももの痴漢撃退法は、ももちゃんの実体験に基づく発表、かと思いきや……

とある作・演出家が来てたのでベルクにお誘いしてビールを飲む。新宿でぷらぷら(?)していたHB橋本くんも合流。ビール券を買ったのに大盤振る舞いしてしまいチケットは一瞬にして全て無くなった……。こんなことしてたらお金がもたないに極まっているのだが、夏だなあ、とゆうことでまあよいことにする。そのあと橋本くんと店を変えてさらにゲストを招いて飲む。とうとう初めてお会いできたあの人も。



ところでこれを書いているのは16日の昼だが、最近は人間の強さについて考えたりする。それはでも弱さについて考えることとほとんど変わらないのだと気付く。マッチョな人がなにゆえに弱いものを嫌い、強さで自分を塗り固めるかってことも今なら分かる気がする。きっとそれは弱さが怖いからなのです。でも手に負えないことはある。そこでは弱さも強さもない。ただ発生してしまった事態に対してどのような叡智と度胸と努力を発揮できるのか。

一連の日々の中でわたしはたぶん苛立っている。そうでなければこんな駄文は書き散らかさないだろう。調子は悪くない。むしろ順調と言ってもいくらい。表向きはとても楽しく愉快に毎日を過ごしているのだが。それは決して嘘ではないのだが。その表皮一枚剥がせば悲しみや不幸がペロッと現れるとゆうことではく、秘密の裏側の世界があるとゆう都合のいい話でもなく、ただある種の幸福の日々の中でどうしようにも消えない苛立ちがプスプスとくすぶっている。まるでその音が聞こえるみたい。この夏、あんまよく眠れないのはその音のせいだろう。その苛立ちの存在を以前は認めるのがイヤだったし怖かったしみっともないことだと思っていたけれども、人間だからしょうがない、あるものはある、神様の悪戯がうらめしい、と少々の恨み節と共にそれを認めたい。きっと神様はこうした人間どもの苛立ちを草葉の陰から覗き見てほくそ笑んでいるのだ。ニャロメ。このやろめ。そしてそれは場合によって愛とか憎しみとか呼ばれたりもするのだが、タイミングや空気ひとつでどちらにも転ぶようなそんな掌を返すような言葉にいちいち付き合ってなんかいられない。愛でも憎しみでもない。まずはただこの苛立ちの存在を認めること。そこからシンプルになること。シンプルに。で、動くべき時を見極める。早すぎてもダメだし遅すぎてもダメ。目指すはアルデンテ。

しかし人間はほんとにそれぞれどうやって生きているのか。歳をとれば経験を積んでラクになる部分があるのは確かだけれどもそんな単純な話ではない。記憶も蓄積されているし、その中には決して好ましいものではない記憶も混じっている。苦い。夏がきっとそれを思い出させる。Q