8/26 ティーンエイジ

浅草橋にあるCASHI°にて、大山光平さん主宰のZINEのイベントを見学。流れ作業で幾人かのアーティストたちがZINEを制作していく。これはちょっとハタから見ると異様な光景だけども、面白い試みだなと思った。大山さんや大原大次郎さんともお話できた。




ところで最近10代に頃に淫していた小説を読んでいるせいか、あの頃の感覚が色濃く戻ってきている。逆にその感覚があるから読み返したくなったのかもしれないけど。とにかく記憶や感覚を辿ってみるとわたしはロクでもない10代だったのだなと思う。だけどひとつ自分の中では「つるまないこと」と決めていた。確かに行きつけの池袋の盛り場には見知った顔がいたし、最年少とあってご飯を奢ってもらったりといろいろ可愛がってもらった。いわゆる女の子付きの飲み屋に連れていってもらったのもこの時が初めてだ。二回目に行った時に、わたしは前と同じ人を氏名した。ハタチだと称していたけども幾らかサバは読んでいたかもしれない。歳上の友人には、あんなネズミ顔のどこがいいんだよ?と揶揄されたけれども(実際そう思っているわけではなくて単に冷やかしたかったのだろう)、わたしは少しでも馴染みのある人が良いと思っただけだった。でもちょっとくらいは好きになっていたのかも。

ともあれそういった年齢の差からくる恩義はあったし事実いろいろ教えてもらったけれども(ちなみにクスリはいっさいやってない、あんなのは正真正銘のクズがやるものだと思っていたし今でもそう思う)、その盛り場では勝った負けたはその場で精算していたし金の貸し借りはなかった。その潔さが気に入っていた。学校は違う。不良たちも麻雀を打っていたりしたけども、連中はつねに金の貸し借りをしていて、その債権がたらい回しになったりして、結局誰がどれだけ勝っているのかさっぱり分からなかった。それで最終的には腕力の強いやつがエバっていた。ひとり、とんでもない負債額を抱えている奴がいて、うすら笑いを浮かべながら周囲の連中にこき使われていたけれども、わたしは絶対にそいつはその金額を払わないだろうなと思っていた。いざとなればこいつは教師にチクるだろう。その奥の手があることを知っているから平気なのだ。すべてが茶番に見えた。わたしはナメられたくないので連中と対等な立場にいるようにした。つまりは距離をとっていた。池袋で毎晩オトナとやってるらしい、とゆうのはそれなりに箔が付くことでもあったのかもしれない。

ある時、以前のクラスメイトの親から電話がかかってきた。うちの子をもう悪い遊びには誘わないでくれとゆう話だった。わたしは完全に鼻白んでいた。そいつを悪い遊びに誘っているのはわたしではなくて他の学校の不良連中であり、わたしは時々そこを通り過ぎる程度に顔を出すだけだった。ほんとの悪友たちの名前を出すのが怖いから、彼は一人暮らしをしているわたしの名前を親に告げたのだろう。つまり売られたのだと思い、腹が立った。いっそ全部暴露してやろうかと思ったけども、どうでもいいことだったので、さあなんのことでしょう、事情はよく知りませんがわたしから誘うことは金輪際ないですよと言って電話を切った。

結局のところ連中にとってはちょっと悪ぶりたいだけの遊びで、夜になればママのもとに帰っていくし、黙っていたってご飯は出てくるし、いずれそれなりによい大学に入り、それなりに他人をこき使って上澄みを掠め取るような人生をこいつらは送るのだろうと思った。パチンコやスロットに行っていた仲間も大抵はそうで、生活や将来に傷が付くことを極端に恐れていた。だったらやるなよ、と思ったけどまあ不良ぶりたい年頃だからしょうがない。だからわたしはこいつらとつるんだらお終いだぞと心のどこかで蔑んでいたのだと思う。自分の中でルールを作ってそれを遵守しないとダメだと感じていた。

ただひとり、学校のクラスメイトに変わったやつがいた。I、とゆう彼はひとりでパチンコやスロット場を荒らしているらしく、新橋や田町や赤坂方面でたまによい稼ぎ場を教えてくれた。さすがにIもひとりでやりつづけることに飽きて寂しくなったのか。わたしも含めて何人かが誘われてそこにいった。前述の甘ちょろい連中はそうした場にいって無闇にはしゃいで台無しにし、出入り禁止を喰らったりしていたが、わたしはそうした連中とは関わりないフリをして淡々と打ち続けた。勝っていてもそうしたフリはできるだけ見せないようにした。周囲の常連とは関係を良好に保つようにした。実際稼げた。小金をもったサラリーマンが道楽でやりにきているような場所だったし、この店はそんな連中から搾り取っているが、当時のわたしは自信もあった。覚悟が違うのだと思っていた。今これ書いててげんなりするくらいひどく気持ちが荒んでいた。でもひとりで破滅する分には家族以外に迷惑をかけることもないだろうと思っていた。どうやってレールから外れても生きていけるのか悩んでいたけれども、その方法はまだ見つかっていなかった。結局わたしも所詮は無力なコドモで、どんなに突っ張ってもオトナにはなれないしかといってもう無邪気なコドモには戻れない。でもそもそも戻る場所なんて始めからなかったのかもしれない。その頃恋人ができたけども、相手の美しさに対して自分があまりに薄汚れている気がしてすぐに連絡をとらなくなってしまった。

Iは、わたしとはまた別のことを考えていたと思うけども、淡々としていて考えてることが読めない点で、なんとなく親近感を持った。かといって特に性格に難があるようには思えなかったし、スポーツも勉強もできるし、話から推察するかぎりでは家庭も裕福で円満に思えた。今思うと彼なりの葛藤があったのかもしれないし、それ以上の虚無的な何かがあったのかもしれないけども。温厚だったが怒ることがたまにあって、それはIの決めたルールを他の連中が守らない時だったように思う。

最近、たぶん単純に苗字が同じせいなのか、少し似た雰囲気をもつ青年に出会った。彼はもともととある劇団で役者をやっていて、事情により地方で就職していたけども、まあいろいろあって、東京に戻ってくるつもりらしい。まあ、きっと、名前が同じってだけだな、と思うけども。なんか気になるのは事実。Q