11/16 忘年

相変わらず低調ではあるけれども、そんなに悪くもない。仕事できるし、文章も書ける感じになってきた。図書館に借りっぱなしだった本を返す。事務作業、などなど。うん、悪くないね。


来年はなんだかとても楽しいことになりそう。もちろん薔薇色の未来が誰かから与えられるわけではないので、自分(たち)で作っていくわけだけど。きっとできるはずだ、とゆうか、自分のペースさえ崩さなければおのずとそうなるだろうと思う。甘い見込みだろうか? でもたぶん今見えている景色よりも、来年の今頃はもう少しレンジもひろがっているはず。

とにかく、無理なことはしない。だけど勇気をもって踏み出すこと。感謝を忘れないこと。


気が早いけれども、やっぱり今年2011年は大変な年だった。世界的にも、ドイツのメルケル首相が「ヨーロッパは戦後最悪の危機を迎えているかもしれない」とつい先日発言したらしいけれども、そうしたことが目立たないくらいに様々なことがありすぎた。世界情勢は激変していくのだろう。そうした変化が全て必ずしも悪いことではないと思うけれども、とはいえ今年はしっかり忘年したい。今は正直、飲み会を開催とかしたい気分ではないので、「忘年会」とゆう形をとるかどうかは分からないけれども、とにかく忘年は、する。それは決して、何もかもを忘れるってことでは、もちろんない。



追記。

そういえばこないだ、ムサビ生のS君がF/Tサロンのトークに来てくれて、彼にとって印象的だったのが、鳥公園の西尾佳織さんがゆってた「戦国時代だったら首を切られたかもしれないけど、今は負けても死なないから、ゾンビのように生きている」との言葉だったそうなんだけれども、今ふと、とあることをきっかけにしてそれを思い出した。人間の怨念とは怖ろしい。敗者の声がルサンチマンとしてわだかまっていたりする。

こうした負の声の多くは、無視していいものかもしれない。でも事実としてそれはどこかに溜まっている。見ないからといって簡単に消えるわけではない(セシウムと同じだ)。どこかにある、そのことも忘れるわけにはいかないんだろうと思う。ただ不幸とゆうものは迂闊に考えると安易に呼び寄せてしまうので、わたしはあえて楽天的でいるようにしている。

20代半ばの、ある、もっとも辛かった時期のわたしは、今の自分の苦しみを、決して世の中の人たちは理解してくれないだろうと思い込んでいた。そしてそれは残念ながら事実ほぼその通りだったのだと今でも思う。例えば今、わたしは、20代半ばのわたしの声を聞き届けることができるだろうか?(ちょっと『モチベーション代行』みたくなってきたな……)

文字起こしの仕事をするようになったせいか、人間の「声」に敏感になった。声にはたくさんのものが含まれている。恨み節もある。恨みから逃れられない人は、あまり性格が上等ではないのだ、と言ってのけることもできるだろう。でも人間は一度何かに囚われてしまったらなかなかそこから抜け出ることができない。不幸な人は、みずからの不幸に依存しはじめてしまう。

今、わたしは、そういった人たちを直接救おうとは思っていない。人を救うためにはそれにふさわしいだけの技術や体力や精神力が必要だと考えるようになった。その場の義憤だけではどうにもならないこともある。だから20代半ばのわたしにもし今再び出会うことがあったとしても、何もしてやれないかもしれないし、あえて何もしてやらないかもしれない。少なくとも、ある程度突き放すだろう。他人は他人だから。ただ、そうした人たちが少しでも(恨みに囚われ続けることなく)生きられるような世の中にしたいとはつねづね思ってきたし、これからもそうありたい。世界は有限ではなくて(たとえ有限であるにしても、そこまで開拓され尽くしてはいなくて)まだまだ拡張できるし、居場所がなければ作ればいいのだと思っている。

つまり少し大げさな言い方をすれば、わたしの仕事は(欲望は)、世界を創造することだ。もちろん分相応のことしかできないし、残念ながらわたしにはゼロから何かをつくる作家的能力はないから、だからこんな仕事をしてるんでしょうね。


まあ、とはいえ今日は、夢の膨らむ日でした。良い一日だったなあ。Q