12/30 ラスト忘年会

早起きをして、ローソンチケットに並んでみたけれども、やっぱり決勝戦のチケットは買えなかった。けど、友人とそれで連絡を取り合っていたら、確保できたとゆう。わ。マジですか。行っていいんですか。彼は付き合ってる恋人と行くつもりだったらしいから、お邪魔虫、な気もするけれども、背に腹は代えられない。あとでチケット受け渡しのために会うことに。

昼、まずは新宿で某社長とランチミーティング。今年は本当に大変だったねえ、的な話をしながら、来年最初の仕事をいただく。その場でちらっと原稿を拝読した感じとても面白そう。

社長と別れ、ロッテリアで友人を待つ。あまりに狭くて、まるで人間が飲食する場所とは思えないので、アルタ前に移動して、友人と落ち合った。彼は髪が伸びていた。チケットをもらう。その恋人とは1月から一緒に住むらしい。豪徳寺で。わたしもかつてはよく行き来をしていた町だ。ロマンティックな思い出が一瞬頭を掠める、とゆうのは嘘で、今これを書きながら、豪徳寺、とゆう言葉の響きにその思い出を喚起されただけだった。友人とも別れて、ワイアードカフェで仕事納めにとりかかる。珈琲をお代わりした。


渋谷に移動してHEADZ事務所にひさびさに行ったら、メインの部屋がだいぶ大変なことになっていた。奥のオギー部屋のカオスぶりがついにこっちにも侵蝕してきたのか……と言ったらウエマツマンにそれは心外です!と言われた。ここにあるのは私物ではないのだ、仕事の在庫なのだ、オギーさんと一緒にしないでくださいとゆうのが彼の主張。それはまったくその通りですな。とにかくどっちみち、片付けたほうがよいと思うよ……。

それでボスと飲みにいったのだった。積もり積もる話があり、そういえば、Kやんから託されたとある話をしなくっちゃ、と話題に乗せたところでHさんがやってきた。とてもおひさしぶり。肉や鍋をつつきながらいろいろ話した。何を話したのか、覚えているような、覚えていないような……。とりあえず、Kやんの話はどこかに飛んでいってしまったのは間違いない。何を話したかな。本当にわたしは記憶力が全然なくて、しかも年々ひどくなっていく一方な気がする。とゆうか、記憶のストック構造がおかしくなっているようで、普段は頭の中に記憶とゆうものをあまり蓄えてない気がする。では、記憶とはどこに眠っているのだろう。まったくなくなったわけではなくて、何かの拍子にひょいと飛び出したりはしてくるのだ。

ビールとサワー数杯とさらにホッピーを9杯くらい飲んだところで、気づいたら終電の時間を過ぎていた。でも、年末だから電車15分くらい遅れてるよ、とゆう言葉を信じて渋谷の駅まで走ってみる。山の手線の最終電車に乗り、そこから、中央線の最終電車に飛び乗った。

わたしはずいぶん酔っぱらっていたようで、近くの椅子に座っていた女性が、ストール、落ちてますよ、と言ってくれた。ストール? ああ、マフラーか。どうもすみませんです。と会釈を返すと、彼女も微笑んでくれた。彼女は真っ黒なサングラスをかけていて、だから目は見えなかったけども、なんだか美しい人だった。


2011年がもう終わろうとしている。確かに、ろくでもない年ではあった。わたしもわたしなりに傷つくことはあったし、生き抜いていくうえでの様々な疲労があった。今は少しその疲れを癒したいと思う。ただ、特に夏の一連の旅を通して、自分の、長年の欠陥のようなものにも気づくことができた気もする。そこで何かひとつ、スイッチが切り替わったのは事実だし、そこから始まった未来もある。……まあ、それはいいとして、2011年は一方では、新たに様々な好奇心を刺激された年でもあった。様々なものとの出会いを、自分のつまらないアイデアや取るに足らない記憶容量の傘下におさめていくのではなくて、つねに外部にあるものとして、立ち向かっていきたい。それは単純に楽しいことだと思う。外部は存在する。つねにそれはある。未知のものとしてある。Q