マンスリー・ブリコメンド(2012年9月後半)

マンスリー・ブリコメンド、9月後半です(コンセプトはこちら)。前回から第2期がスタートしましたが、今回もさらに新メンバーが加わります。古賀菜々絵さんは福岡・北九州の演劇事情をリポートしてくれるでしょう。

なお前回に引き続き公演名を色分けし、関東ローカルなものは「青」、関西ローカルなものは「ピンク」、それ以外の地域を含むものは「紫」で表記しています。Q



▼第1期からのメンバー▼

藤原ちから/プルサーマル・フジコ

1977年生まれ。編集者、フリーランサー。BricolaQ主宰。高知市に生まれる。12歳で単身上京し、東京で一人暮らしを始める。立教大学法学部政治学科卒業。以後転々とし、出版社勤務の後、フリーに。雑誌「エクス・ポ」、フリーペーパー「路字」、武蔵野美術大学広報誌「mau leaf」などの編集を担当。プルサーマル・フジコ名義で劇評等も書く。共編著に『〈建築〉としてのブックガイド』(明月堂書店)。たまにトークイベント「スナックちから」(@清澄白河SNAC)もやってます。「CoRich舞台芸術まつり!2012春」審査員。twitter:@pulfujiko

【今回のブリコメンド】
■〈Produce lab 89 官能教育〉大谷能生×川端康成「山の音」
■悪魔のしるし『倒木図鑑』
■ブルーノプロデュース『くんちゃん』
■柴幸男、三浦康嗣、白神ももこ『ファンファーレ』
■マームとジプシー『ワタシんち、通過。のち、ダイジェスト。』
■intro『ことほぐ』


日夏ユタカ(ひなつ・ゆたか)

東京都出身。日大芸術学部卒。日本で唯一の競馬予想職人を名乗るも、一般的にはフリーライター。80年代小劇場ブームを観客&劇団制作として体感。21世紀になってからふたたび演劇の魅力を再発見した、出戻り組。twitter:@hinatsugurashi

【今回のブリコメンド】
■ブルーノプロデュース『くんちゃん』


鈴木励滋(すずき・れいじ)

1973年3月群馬県高崎市生まれ。地域作業所カプカプ(http://kapukapu.org/hikarigaoka/)所長を務めつつ、演劇やダンスの批評も書く。『生きるための試行 エイブル・アートの実験』(フィルムアート社)や劇団ハイバイのツアーパンフに寄稿。twitter:@suzurejio

【今回のブリコメンド】
インドネシア×日本 国際共同制作公演 北村明子『 To Belong -dialogue- 』


カトリヒデトシ

1960年、神奈川県川崎市生まれ。大学卒業後、公立高校に勤務し、家業を継ぎ独立。現在は、企画制作(株)エムマッティーナを設立し、代表取締役。カトリ企画UR主宰。「演劇サイトPULL」編集メンバー。個人HPは「カトリヒデトシ.comtwitter:@hide_KATORI

【今回のブリコメンド】
■大長編 男肉 du Soleil 『団長のビバリーヒルズコップ』
■ラジオデイズ5周年記念トーク 町山智浩vs面影ラッキーホール
■KUNIO 10『更地』


徳永京子(とくなが・きょうこ)

1962年、東京都生まれ。演劇ジャーナリスト。小劇場から大劇場まで幅広く足を運び、朝日新聞劇評のほか、「シアターガイド」「花椿」「Choice!」などの雑誌、公演パンフレットを中心に原稿を執筆。東京芸術劇場運営委員および企画選考委員。twitter:@k_tokunaga

【今回のブリコメンド】
★ステージ・チョイス!(徳永京子オススメステージ情報)
http://www.next-choice.com/data/?p=9375



▼第2期から参加のメンバー▼

西尾孔志(にしお・ひろし)

1974年生まれ。映画監督、大学・専門学校講師。10代から京都の撮影所で働き、自主制作映画『ナショナルアンセム』を監督。関西に映画を作る場が必要と考え、CO2の運営ディレクターを4年間務める。触媒的に他ジャンルの人間を交わらせたがる悪癖を持つ。監督作『ソウルフラワートレイン』(原作:ロビン西、主演:平田満、音楽:少年ナイフ)が公開待機中。映画や音楽についてはこちらでリコメンド→http://qnicc.jp/column/2012/07/01-000000.php
@nishiohiroshi

【今回のブリコメンド】
■劇団子供鉅人『幕末スープレックス
インドネシア×日本 国際共同制作公演 北村明子『 To Belong -dialogue- 』
■KUNIO 10『更地』


落雅季子(おち・まきこ)

1983年生まれ東京育ち。一橋大学法学部卒。中高では英語演劇部、大学時代は上智大の劇研で過ごす。その後は意志を持って観客役に専念し、ワークショップ参加を機に、2009年ごろより演劇・ダンス評を書き始める。職業はシステムエンジニア

【今回のブリコメンド】
■柿喰う客『無差別』
■柴幸男、三浦康嗣、白神ももこ『ファンファーレ』


古賀菜々絵(こが・ななえ)

福岡県太宰府市生まれ、育ち、そして在住。フリーの俳優。主に福岡で活動。地元劇団への出演に加え、北九州芸術劇場主催作品等にも参加。また、演劇や美術作品に触れる為、頻繁に上京することも。俳優、時々、演劇に繋がる仕事を兼任する日々。最近の出演作品に、『テトラポット』作・演出:柴幸男(ままごと)、『No Enemy, No Life?』作・演出:高山力造(village 80%)、出演予定に、けのびの作品(演出 羽鳥嘉郎)などがある。

【今回のブリコメンド】
■マームとジプシー『ワタシんち、通過。のち、ダイジェスト。』
■無倣舎Muhosha『ゆめみるきかい』







大長編 男肉 du Soleil 『団長のビバリーヒルズコップ』

【大阪公演】9月14日(金) 〜17日(月)@in→dependent theatre 1st
【東京公演】9月27(木) 〜30日(日)@シアター711
【京都公演】10月11日(木)〜13日(土)@元・立誠小学校 講堂

http://oniku-du-soleil.boy.jp/stage/beverly_hills_cop/

サイトのキャスト表を見ても出演者の名前に主宰「池浦さだ夢」の名前はない。作者にも演出にもない。チラシをよく見ると、出演者の上に「団長池浦さだ夢」というクレジットがある。なにを考えているのやら。
男肉は09年に複数団員の卒業就職の為に解散した。ラストギグと銘うたれた「シューカツ!」という作品は15分で終わってしまい、あとはいつもつまらないコントや、最初だけ威勢が良くディスり始めるが途中から腰砕けになるいつものグダグダ・ラップ。なんと次回作のオーディションもしてた。解散公演ということばすら守れず、いつもどおりのグダグダな展開を見せつけ、十二分に脱力させてくれた。
しかも2か月後に再結成(笑)。
まったく「ガッカリさせてくれるぜ!」な団体なのである。
なので今回、「大長編」というタイトルにも全く信がおけない。きっと壮烈にガッカリさせてくれるであろうこと必定!
内容紹介にも「団員達は知らない団長の過去がある。それは、アメリカのビバリーヒルズ時代のお話。麻薬シンジケートの動きを察知した団長は…」先を読む気無くさせるばかばかしさ。団長が客演した舞台(これは極めて真面目な作品だったのだが)での当日パンフによせた団長のいい加減きわまりないプロフィールを「あーっ」と読んでいたら、それを元に真面目に「すごい経歴なのに役者やってるんだね」と論じている批評家がそばにいて、笑いをとおりこして引きつって青ざめたこともあった。
まったく男肉は度し難い団体である。
まったく男肉は度し難い団体である。
(大事なことなので2回いいました)
なんらかの期待をもって見に行く自分をいましめなければならないと思う(笑)
それなのにカルト的な人気はなかなかなものである。一回目の解散の前は(笑)大阪出身の団体にもかかわらず公演は京都でしか行えないとこぼしていたが、今ではin→dependent theatre 1stという大阪でも有数な小劇場にでられるようになり、ヨーロッパ企画の石田剛太を客演に呼び、ヨーロッパのメンバーがトークに駆けつけるというすっかりな出世ぶりである。
大好きな団長だし、仲もいいので、良い機会だと思って、はっきりといわせてもらう。
「いいかげんにしろ。いい気になるな」(カトリ)




柿喰う客『無差別』

【東京公演】 2012年 9月14日(金)〜24日(月)@東京芸術劇場シアターイースト(小ホール1)(池袋)
【福岡公演】 2012年 9月27日(木)〜28日(金)@イムズホール(地下鉄天神)
【大阪公演】 2012年 10月3日(水)〜9日(火)@HEP HALL(阪急梅田駅、JR大阪駅

http://kaki-kuu-kyaku.com/main/

中屋敷法仁を見ていると「健啖家」って言葉を思い出す。この人に食べられないものはないっていう、胃袋にまで歯が生えてそうなエネルギーを感じる。彼の筆致と演出には迷いが無くて、そこからは破壊と創造っていうスケールの大きな単語の組み合わせが違和感なく浮かんでしまう。とにかく「あわせ持ってる」イメージの作家なのだ。今回のタイトルには、神も仏も獣も人も”無差別”という意味が込められているとのこと。「神」とかさらりと口にしつつ、大いなる力への畏敬の念もちゃんと感じるし、そんなところに踏み込んじゃう剛胆さはさすが。
劇団員だけの本公演は、2011年1月『愉快犯』以来。深谷由梨香、玉置玲央は私の最愛俳優ズのうちの二人で、いつまでも見てたい聞いてたい身体と声の持ち主。新しくなった東京芸術劇場で彼らを見られるのが、ほんとに楽しみ。(落)



ラジオデイズ5周年記念トーク 町山智浩vs面影ラッキーホール

9月20日(木) @牛込箪笥区民ホールhttps://www.radiodays.jp/community/show_event/139

ファビュラス・バーカー・ボーイズとして「映画秘宝」誌上で「ガース柳下」「ウェイン町山」を名乗り対談を重ねていた頃から、私の映画の師匠である町山智浩柳下毅一郎。今回はその町山のトークイベントを紹介。
余談であるが、カトリ企画にでてくれたりするN氏を「特殊俳優」と称したりしていたのも、特殊翻訳家柳下からの借パクであったことに改めて気づいたりするくらい影響を受けている二人(元ネタは特殊漫画根本敬ですが)。
町山はコラムニストとしても方々でケンカを売りまくる武闘派。ウィキにまで書いてある、勝谷誠彦唐沢俊一との確執や、アメリカに転居したアツい経緯などを知るにつけ、大好きだけど友達になれるかどうか微妙と思わせる、いろんな意味で魅力満載なお方である。
さてラジオのトークゲストにでても毒舌、辛口が止まらなくなるその町山が、「ラジオデイズ」という有料ポッドキャストサイト(「声と語りのダウンロードサイト」と自称)の周年記念で、「X-RATEDノワール歌謡ファンクバンド」と称される面影ラッキーホールのリーダー、ボーカルとのライブ付きのトークイベントを開催する。
面影ラッキーホールは20年に渡る活動もなんのその、通常のレイティングのないメディアでは取り上げるのが困難な、全曲聴くと「いろいろ考えてもアウト」な歌詞をかっこよくうたってしまうバンド(そもそもバンドの名前の出自が…)。
なにせこのイベント『「桜」や「明日」を「信じる」歌はもうたくさん!』という副題です。ポジティブソングを徹底批判し吉本隆明が「うますぎる物語詩」と推薦した面影を褒めちぎるディープで限界で境界を語る内容になる(多分)ことは必定。「俺のせいで甲子園に行けなかった」「好きな男の名前腕にコンパスの針で書いた」「あたしだけにかけて」なんていう題名で分かるとおり、70年代日活ロマンポルノ、神代辰巳藤田敏八という名前にピンとくる方にはストライク。(カトリ)

※参考歌:「おかあさんといっしょう」http://www.youtube.com/watch?v=ABuamnyG0pc&feature=player_embedded




無倣舎Muhosha『ゆめみるきかい』

【福岡】9月21日(金)@ロックハリウッド/bar Eternity(福岡・中洲川端http://muhosha-yume.jugem.jp/

この企画は、8月〜12月まで毎月第3金曜日に開催している即興劇の作品だ。美術家や音楽家に俳優が、そこに居るお客さんから引きだしたエピソードで、即興の劇空間を作り出すというものらしい。
実を言うと、無倣舎という団体については、分からない事の方が多い。けれどもオススメする理由として挙げられるのは、福岡のアンダーグラウンドな作品をコツコツ、作っているように思えるからだ。福岡といういち地域の特色として、一定以上の活動を継続して行っている劇団は多かれ少なかれ、その都市の一定の観客のパイを奪いあいながら活動を継続しているところが多い。もしくは完全なるエンターテイメント思考で一般客を取りこむかの二択に近い中、この団体は、そのどちらにも属さずに独自の創作活動を展開して行っているように思われる。
この団体は自由に手を伸ばし、時には一つの建物を活用して演劇やアート展示、フリーマーケットや占いなどのイベントが集まったお祭りを開催したり、香港の演劇祭「小劇場大演劇2012」(STBD2012)に参加したりしている。
そんな無倣舎が4か月に渡って定期上演を試みる『ゆめみるきかい』は、彼らが更に自由な手を持って作った作品のように思えてくる。これは見逃さない手はない。(古賀)




劇団子供鉅人『幕末スープレックス

【大阪公演】9月21日(金)〜9月23日(日)@HEP HALL(梅田)
【東京公演】10月4日(木)〜8日(月)@ザムザ阿佐谷(阿佐ヶ谷)

http://www.kodomokyojin.com/

快快を初めて京都で観た時、「おっ!子供鉅人みたいな劇団が関東にもいるのか!」と思った。関東の人からしたら逆の印象であろう。音楽的快楽と、地下レジスタンス的な知能とフィジカルとを兼ね備えた二つの劇団は、東と西のそれぞれのカルチャーの先っちょ感覚をお互いに感じたのか、数ヶ月もしない内に濃い交流を始め、共演やら客演やらを行う仲となった。その快快が新しい形態へと移行する同じ時に、子供鉅人はアンダーグラウンドを捨てようとしている。拠点であった路地裏のバーを閉店し、座長曰く「どエンタメ」を標榜して今公演に挑む子供鉅人。転向か?それとも長期戦のテロの始まりか?(西尾)





インドネシア×日本 国際共同制作公演 北村明子『 To Belong -dialogue- 』

【東京公演】9月21日(金)〜23日(日)@シアタートラム(三軒茶屋
【神戸公演】9月25日(火)@Art Theater dB 神戸(新長田)

http://www.akikokitamura.com/tobelong/

映画に携わる人間として北村明子の名前は、黒沢清の映画『回路』の中で、「まさに幽霊とはこういう動きをするのか!」という強烈な戦慄の体験と共に記憶している。あの動きはヤバかった!その北村明子が演出する国際共同制作公演。インドネシアの舞踏家マルチナス・ミロトを始め、影絵師でマルチパフォーマーのスラマット・グンドノ、映像作家の石川慶などアジアの多様な感性のミクスチャー具合が楽しみ。「ああこういうのね」「アートね」とならない気配がビンビンする。(西尾)

98年に山の手事情社山田宏平が六本木のクラブで企画した『マーカス・ポップ』に出ていた北村明子を観て、わたしは以来これほどまでにダンスにのめり込んでしまっている。キレのあることこの上ない動きとしなやかに流れるような動きが同在する、功夫太極拳を想わせる緩急豊かなダンス。彼女のカンパニー「レニ・バッソ」の公演にはことごとく足を運んだが、2006年『エレファントローズ』の松本での初演は、あらゆるダンス作品の中で最も印象に残るもののひとつである。2009年には待ちに待った『エレファントローズ』の再演が横浜であったのだが、北村はほとんど踊らず、わたしはとても残念な気持ちになり、そして「レニ・バッソ」はその年に活動を休止した。
その後、信州大学で教鞭をとる北村は、自らが習っていたインドネシアの伝統武術プンチャック・シラットを介し、研究の一環として彼の地にて伝統舞踏に携わる人々をインタビューしていた。そこで出会った人たちとのコラボレーションが本作へとつながっている。
今年の1月に鎌倉の近代美術館でおこなわれたパフォーマンスでは、本公演でも共演するマルチナス・ミロトと北村が語り踊ることで、それぞれの違いを見せた。3月の森下スタジオでのワークインプログレスにおいては、北村は少し困惑しているように見えた。伝統舞踏の盤石さを背景とするミロトに対して、あえて何者であるかを確定しないで踊りつづけてきた稀代の踊り手は、飲み込まれぬようにしながらも決して断絶しない方途を探っているかにも見えた。まさに絶対的価値を拒んだところから始まる現代芸術の葛藤がそこにあった。インドネシア公演を経て、彼/女たちの対話が、どのような未来の可能性をみせてくれるのだろうか。(励滋)




〈Produce lab 89 官能教育〉大谷能生×川端康成「山の音」

9月22日(土)〜23日(日)@新世界(六本木)http://www.producelab89.com/

近年、数々の先鋭的なアーティストたちの舞台になぜか(?)関与し、独特の(としか言いようのない)存在感を示してきた音楽家大谷能生が、徳永京子プロデュースの「官能教育」シリーズに登場。自身、初めての舞台演出を試みる。テクストは川端康成の『山の音』。還暦を超え、追憶と現在とが混濁しつつある老人に芽生える「性」を静かな筆致で描いた作品だが、あらためて読んでみると、かつての(20世紀の)文学は、その沈黙のなかに豊饒なるものを湛えていたのだなあ、と思えてくる。
20世紀といえば、まさに大谷はモダンジャズを中心にその時代を考察しつづけてきた人物でもある。大谷の仕事(背中?)を通して、わたしは20世紀というものをおぼろげに意識するようになってきた。まだそれが何なのか全然わからないけれど、「戦争の世紀」とも「映像の世紀」とも呼ばれたこの100年は、あえて言うなら「官能の世紀」でもあったのではないかと思う。「性」をめぐる悲痛な叫びが、文学や、音楽や、映画の中で何度も何度も繰り返されてきた。永劫回帰のように……。それはすっかりソフィスティケートされたはずの近代人が、野蛮な自然に押し戻されてしまうという、哀しい、だが悦びに満ちた瞬間でもあったのだ。結局人間は「性」の前にひざまずくほかなかった。

 花弁は輪冠の縁飾りのやうで、円盤の大部分は芯である。張りつめて盛り上るやうに、しべが群がつてゐる。しかも、芯と芯とのあひだに争ひの色はなく、整つて静かである。そして力があふれてゐる。(中略)さかんな自然力の量感に、信吾はふと巨大な男性のしるしを思つた。(川端康成「山の音」)

『山の音』の主人公はもはやボケ老人かとみまがうような記憶の混濁した世界を生きているのだが(←かなり面白い)、残念ながら(?)、老いていけば性の煩悩から逃れられるわけではないらしい。何しろ、花びらを見てもペニスを思い起こしてしまう俗物なのだ。悟りからはほど遠い老境である。性から逃れられない人間ほどみっともないものはない。しかしどこか、その滑稽な姿は愛らしくもある。そこには隠された、淫靡な世界をひらく扉があるのだ。わたしはどうしてもそこに魅力を感じてしまう。誘惑されてしまう……。
官能とはおそらく、五感を通して人間を誘惑する悪魔のような存在だ。目に映る裸体や下着は露骨にエロティックだし、香水や体液の匂いもまた強烈な性的刺激をもたらす。だけど、だがしかし……です。もしかしたら映像ではなく、匂いではなく、音こそが最も官能的、なんてこともあるのかもしれないのだよ。まさにそんな音を追求してきた大谷能生と、3人の素敵な女優たちとのわずか4ステージの饗宴。六本木に行ったら何もかも忘れて「無」になって愉しみますよわたしは。(フジコ)




悪魔のしるし『倒木図鑑』

9月27日(木)〜30日(日)@KAAT大スタジオ(元町・中華街http://www.akumanoshirushi.com/TOUBOKU.htm

初めて悪魔のしるしを観たのは『禁煙の害について』で、「禁煙席」を選んだわたしは狭い箱の中に閉じ込められて見世物にされたのだった。やがて箱が解体され、閉ざされたその禁煙ボックスから抜け出る瞬間を、喫煙席(=外の世界)にいた人たちに満場の拍手喝采をもって迎えられるフィナーレ。それは屈辱的であり感動的でもある痛快な体験だった。怒っているような、喜んでいるような、不思議な興奮に包まれてしまった。
その時はまったくおかしなことをやるアウトサイダー、という印象だった悪魔のしるしだが、なぜか彼らはF/T公募プログラムに呼ばれ、トーキョーワンダーサイトに呼ばれ、海外公演もやったりなんかして、各地で引っ張りだこなのである。しかも呼ばれているのに、そのお金を使い込んでダンボールで変なものをこしらえてます、みたいなヘンテコな作品をつくる。ふざけてる、とも見えかねないけど、例えばチェーホフの『桜の園』をモチーフにした『SAKURmA NO SONOhirushi』はすこぶる感動的な作品だった。人間やその生きる世界のどうしようもない悲哀と愛らしさ。主宰・危口統之の言葉に倣って言えば、まさにそれこそが「ブルース」なのだ。
わたしの記憶が正しければ、彼は一時期、「次からはオーソドックスな演劇の王道に回帰したい」みたいなことを言ってた気がするけども、たぶん今回もそうはならないだろう。次も、その次も、そうはならないだろう。きっと悪魔のしるしはいつも「演劇をやること」に失敗し続ける。しかし彼らが作品をつくり続けているというそのことだけで、何か救われるような気持ちがするのはなぜだろうか? 彼らの公演は、その意味では祈りにも似ているし、同時に、呪いのようでもある。ブルージーな呪い。
呪いのない人生なんて考えられないわ。
今回は恐怖の「5円席」も用意されているようです(こちらはすでに完売)。(フジコ)




KUNIO 10『更地』

【関西】9月27日(木)〜9月30日(日)@元・立誠小学校 講堂(河原町http://www.kunio.me/kunio10/

杉原邦生は今、関西、特に京都の同年代、またはもっと若い演劇人にとって大きな存在である。リスペクトの対象だけでなく、目の上のタンコブと思っている者も多数いる。理由は杉原邦生が関東から京都にもたらしたものが「マッチョ」に見えるからだ。学生演劇が乱立する京都の演劇シーンにおいて、杉原の姿は「マッチョ」や強い「上昇志向」に見えるかもしれない。だが彼が本当にやろうとしてる事は、有名戯曲を全身全霊の体当たりで「遊んで」みせてきたKUNIO名義の活動を観れば自ずと理解できる。KUNIO、10公演目はついに師匠とも言える太田省吾に挑む。前年の8時間半にも及ぶ公演『エンジェルス・イン・アメリカ』よりも、その覚悟は相当なものではないだろうか。(西尾)

主宰演出杉原邦生本人の「太田省吾=沈黙劇、前衛、アングラ、極度に遅いテンポ…って情報が先にあると、やっぱりとっつきづらいですよね。でも、オレがやりたいことはそのイメージを新たな視点でお客様に提示すること。合い言葉は「太田省吾をポップカルチャーにする!」でっす!!
」といういつもながらのハッピーハッピー脳天気ツイートを読むと、ステマ(※1)といわれようとも紹介せざるをえないなぁと思いました。
07年になくなった太田省吾の作品を劇場で見た人は現在演劇に関心のある人のうち2割はいないだろう。また過去の見ることのできなかった舞台に関して資料を読んだり、映像を見たりという人になるとはてさて、と思わざるをえない。たまには古い人間も語らないといけない。
「水の駅」などの転形劇場での無言劇、時間をひきのばしていく系列の作品は演出家としての太田省吾の本領が発揮されているヴィルトゥオーソなもので再現は不可能である。だが、劇作家として、演劇集団 円のために(特に中村伸郎岸田今日子のために)提供した戯曲にはしっかりした構成がありテキストがあり、今読んでも読み応えがある(『太田省吾劇テクスト集(全)』早月堂書房)。この対話劇の系列は今後も上演可能な可能性に満ちたものである。(円で上演されたものは太田演出ではない)
92年初演の「更地」は岸田今日子を主演に作演出とも太田が務めたが、当時彼が芸術監督だった湘南台文化センターという高い球形の天井を持つ場所で上演された(※2)。途中白い布に覆われてしまう舞台はやたら「すかすか」なのだが、とにかく空気の多さに圧倒された空間だった。そこで初老の夫婦(岸田今日子、瀬川哲也)が「空き地」の思い出、経験について延々と語りあう。夫婦の歴史について語ることで確認していくという紡ぎ方がされていく。そこから醸される「からっぽ」な感覚は、3年後に阪神淡路大震災の廃墟の映像と重なった時、長い年月を越える「記憶」を残す作品となった。
 これを太田本人に教わった最後の世代である杉原が、311の廃墟の記憶も新しい今、「ポップカルチャー」にすると宣言する。なかなか危険な発想であると思う。
長く演劇を見続けてきたものとしてどんな作品が現れるか、ワクワクするとともに、がっかりして幻滅するかもしれないというヒリヒリする興奮も味わっている。この目で確認したいと思う。(カトリ)

※1 カトリ企画今年春の第4回公演「文化系体育会」で杉原邦生には演出をとってもらった。その際、今回出演のイキウメ・大窪人衛をキャスティングしたこともあるので、お手盛りすぎるのでは、とやや遠慮気味に紹介してます。
※2 現在手に入るDVD「太田省吾の世界」では96年再演版の「更地」をみることができます。キャストの二人は変わらず、場所も湘南台文化センターです。amazon
http://www.amazon.co.jp/%E5%A4%AA%E7%94%B0%E7%9C%81%E5%90%BE%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C-DVD/dp/B001OYF0H4




ブルーノプロデュース『くんちゃん』

9月28日(金)〜10月2日(火)@atelier SENTIO(北池袋・板橋)http://brunoproduce.net/html2/next2.html

これまで、ブルーノプロデュースの熱心な観客というわけではなかったのだけれど、前作『ラクト』では、その空間や存在のあまりの“好ましさ”にすっかり魅了された。もちろんそれまでも、主宰であり演出の橋本清の描こうとする世界には、彼が演出助手として関わる「東京デスロック」(および主宰・演出の多田淳之介)の影響も当たり前にあり、しかもそれは相当に自分の好む方向であったことからつねに好感を抱いてきたのは間違いない。けれどいつのまにか、いわゆる追随ではなく、新しい道/未知を切り拓きたいという挌闘する様が生々しく舞台に乗っていたら、それはだれだって一歩、興味が前のめりにならざるをえないだろう。
ちなみに橋本清は先日、横浜の劇場・稽古場である急な坂スタジオ・のげシャーレ・STスポットが連携して、稽古から作品上演までをトータルサポートする若手舞台芸術家の創作支援プログラム「坂あがりスカラシップ」に選ばれている。
それゆえ、多くのひとたちにとっては、現在のブルーノプロデュースは日本料理でいう「走り」なのかもしれない。けれど、個人的にはいまからがまさに「旬」。この≪ドキュメンタリーシリーズ≫の第5弾は、けっこうな観ごろなのではないかとも強く思う。二十代のいま、あるいは日本の未来などに関わりたくないひと、はべつとして。(ひなつ)

ブルーノプロデュースは今とてもノッている、と感じるけれども、それは別に彼らがイケイケドンドンの作品をつくっているということではない。むしろ我が道を淡々と歩んでいる、という印象を受ける。一連の作品に《ドキュメンタリーシリーズ》と銘打っているのも、彼らがひとつの作品=公演単体で演劇を捉えているのではなく、ある継続した時間の連なりの中に身を置こうとしている姿勢の現れだと思う。急な坂スタジオの「坂あがりスカラシップ」に選出されたのも、その姿勢が評価されたのではないか。
主宰・橋本清の関心はここ数作で「他者の記憶」に向かっている。アーティスト、特に若い人がどうしても自分の持つ世界観の表出に力を注ぎがちな中にあって、彼のこの感覚はかなり特異であると同時に、誠実でもあると感じる。きっと彼自身にとってそれが何かしら切実な行為でもあるのだろう。
「病気」をテーマにした前々作『サモン』では、演劇の持つ怖さを。「夏」をテーマにした前作『ラクト』では、女の子3人の会話劇という体裁を通して、演劇公演が一種のアジール(避難所)としても機能することを示してくれた。『ラクト』の舞台になったあの東中野の小さなスペースは、アフタートークも含めて、わたしにはとても居心地の良いものだった。
観客は、どうしても「演劇」に対して何らかの先入観を持って臨んでしまうものだけれども、ことブルーノプロデュースの《ドキュメンタリーシリーズ》に関しては、あまり構えずに、その場に自分が居てしまうことの不思議を感じながら観るといい気がします。(フジコ)



柴幸男、三浦康嗣、白神ももこ『ファンファーレ』

【TOKYO mix】9月28日(金)〜10月14日(日)@シアタートラム(三軒茶屋
【MIE mix】10月20日(土)〜10月21日(日)@三重文化会館
【KOCHI mix】10月26日(金)〜10月27日(土)@高知県立美術館
【MITO mix】11月3日(土)〜11月4日(日)@水戸芸術館

http://fanfare-mix.com/

柴幸男(ままごと)と三浦康嗣(□□□)、白神ももこ(モモンガ・コンプレックス)が組んで公演をするのは、2009年『わが星』以来のこと。これだけで、注目するには十分な理由だけど、今回のクリエイションはどうやらそれだけじゃないみたい。東京、三重、高知、水戸。四つの街で出会った人たちと作品を作るということで、それは単なる演劇公演に留まらない、何か大きなプロジェクトだと言ってもいい。公式ページでは、あらすじが読めたり劇中歌が聞けたりもするのでぜひ。まずは今月、東京からのスタート。そこから響き始める歌が、地図を描くように広がっていくのを想像するのは、素敵なことだ。
ところで歌のうまい人って、自分の声と、狙った音の距離の測り方がうまい人だと思う。そうなると柴さんが音楽に強い興味を示す理由もわかる気がする。小さな「自分」について考えることが、自分を取り巻く自分以外の「世界」につながっていくことを、彼はよく知っているのだと思うから。(落)

先日、稽古場にお邪魔して、通し稽古を途中まで拝見した(そのレポートは某媒体に掲載予定です)。いやー、なんだかすごく、「満ちている」空間になっていると感じた。出演者もスタッフも、もちろん3人の演出家も、それぞれがプロフェッショナルに自律していて、そのバラバラな音が集まっている感覚。これが本番でどんなふうにハーモニーを奏でていくことになるのか楽しみにしたいと思います。(個人的には、できれば高知で観たいな……)
ちなみに「あらすじ」はここで読むことができます。これ、とても素敵なあらすじだと思う。(フジコ)
http://t.co/zboZ7oTt








マームとジプシー『ワタシんち、通過。のち、ダイジェスト。』

【北九州公演】9月28日(金)〜30日(日)@北九州芸術劇場小劇場http://www.kitakyushu-performingartscenter.or.jp/event/2012/0928mum-gypsy.html

マーム初の九州上陸作品!
彼らの評判は、随分前から風の便りで九州に届いていた。演劇ファンは彼らの九州での上演を首を長くして待っていたに違いない。ちなみに年末から翌年にかけてある、北九州芸術劇場でオーディションによって選ばれた俳優陣とマームの常連俳優陣、それに演出家の藤田さんが加わって生みだす新作は、北九州公演を終えた後、東京にも運ばれて上演される。そんな文脈も流れる九州に、一番最初に持ってくる作品がこの『ワタシんち、通過。のち、ダイジェスト。』だ。
マームの作品は、観客との距離の取り方が絶妙に操作されているように思えて、その距離感によって作品に巻き込まれたり突き放されたりするさまが、私はとても好きだ。
過去にマームを見たのは、『コドモもももも、森ん中』と『犬』の2作品だ。シーンがループし、回転の中で立ち上がってゆく2作の物語は、ともにドライブ感で溢れていた。
演出の藤田さんが興味を示すもののひとつに、記憶というものがあるらしく、それは作品のモチーフにもなっている。私たちが記憶の断片を引き出すとき、それも生きているうちに何度も取りだすとある記憶は、往々にして、広い記憶のなかで、繰り返し思い出されることで、ストーリー性が一層増幅し、事実かどうかはわからないけれど自分に存在している思い出としての記憶の強さを持ち始める。『コドモ―』では、とある記憶が、自分たちの中で自然に思い出となりゆく現象を、舞台空間の中につくりだし、観客はそこに巻き込まれてゆくことで、思い出にはつきものの叙情感を体感させられてしまうのだ。『犬』では、シーンのループが、音楽やテンポの効果も加わって機械的な回転の役割をしてゆ くことで、観客の情動を必要以上に取りこませず、非情な現実を淡白に魅せてゆくように、少女が汚されてゆく様を淡々と描いている。
今回の作品は“家”という、生活の中心を担う場所のひとつをモチーフにした作品と聞く。
マームが、家の持つ記憶や時間とどのように関わり、観客をどの距離に置いて見せてくれるのかが楽しみだ。(古賀)

東京・三鷹での公演を観て、この作品はマームとジプシーと藤田貴大にとって、とても大事な一歩を踏み出したものだと感じた。近年の東京の小劇場演劇では、完成度の高さが重要視されてきた。もっといえば、重要視されすぎて、失敗がしづらい状況が生まれていた。そんな中にあって、しかし作り手たちは(この変転する時代に生きているアーティストであれば)、新しい挑戦をしたい、と感じるものだ。『アタシんち〜』は、その冒険をおかして、そして大事な手応えをつかむことに成功した作品であると思う。
過去の優れた文学や映画といったものにたゆたっていたような、無限の背景のようなものを、ぜひ北九州のお客さんにも感じてほしいな、と思っています。あるいは、東京では見られないマームが、そこでしか見られないそれが(つまりわたしの知らないそれが)、見られるのかも。駆けつけられないのが無念です。(フジコ)





intro『ことほぐ』

9月29日(土)〜10月1日(月)@こまばアゴラ劇場駒場東大前)http://www.intro-sapporo.com/

introは札幌の劇団。「CoRich舞台芸術まつり」の審査で札幌に行き、この『ことほぐ』を観た。大変失礼な話だが、正直なところ、せっかく北海道まで行くのだし美味い魚とか食べて帰ろう〜、みたいな食いしん坊万歳的な考えがわたしのみならず審査員の頭をよぎっていたのではないかと思うけれど、結果的に言えば、とても良い作品に出会うことができた。というのも、ここにはまだ「物語」を生み出す土壌があるのだ、と感じることができたから。
妊婦3人と、それを取り巻く男たちの話である。様々な立場や価値観がそこに浮かびあがってくるだろう。札幌公演では、北海道ならではの土地の力を感じさせるあるモチーフがきわめて効果的に使われていた。それはこの物語の構造の骨格を成すものだけど、それがさて、場所を東京に移植してもなお機能するのか、といったあたりに今回は注目したい。単純に、札幌の劇場(コンカリーニョ)は広かったので、それが狭いこまばアゴラ劇場に移ることで、かなり印象も変わるのではないかと思う。そもそも空間の使い方が面白い作品だったので。
初日(29日)のアフタートークに出るので、主宰のイトウワカナさん(生まれも育ちも札幌)とそんな話をしてみたいと思っています。あの札幌で感じた力強さを持ってきてほしい。楽しみに待ってます。(フジコ)