世田谷パブリックシアター演劇部 批評課(3日目)


― 柏木陽さんが、中学生批評ワークショップをやりたいと思ったのはなぜですか?


柏木 世田谷パブリックシアター演劇部の中学生の子たちを見ていて、たとえば誰かの発表を見てフィードバックする時に、返す「手」が足りないなあとずっと思ってて。見たものに対する印象を言おうとすると、すごく当たり障りないか、めっちゃキツくなるかしちゃう。それで批評をやっている藤原ちからさんにお願いしてみたんです。意外と、僕がワークショップやる時とアプローチが変わらないなと思いましたね。


― ここまでのワークショップ前半日程では、いろんな作家の文章を声に出してみたり、国語辞典を使って遊んだり、とにかくたくさんの文体とボキャブラリーに触れましたね。


柏木 あれぐらいの年齢の子たちに、ゆくゆく役立つことを手に入れてもらおうと思うと、まずはいろいろ知っていく方向になるのかな。子供たちも、わりと恐れずに思ったことを喋るようになってきて、いつもうるさいけど、いつもよりうるさいかもしれない(笑)。


― 今日子供たちが、互いの『地域の物語』感想文を交換して朗読しあった時に、ある子が「ごめんね、これはちょっと自分の考えと違ったんだけど……」って、書いた本人に直接伝えたスリリングな瞬間がありましたよね。そういう時に、柏木さんは何を思ってるんですか。


柏木 「おっとスリリングだぜいッ♪」と思いつつ(笑)、修復できないことはやつらも言わないと思う。と言いつつ、もしもちょっと配慮に欠ける言葉が出てきたら、「意図してるようには伝わってないよ」って打ち返さなきゃいけないと思ってるけど。でも、基本的には「いいんじゃない? 行け行け!」って言い続けられる場であるといいですよね。


― ワークショップを通して、この年代の子に期待したいことって何ですか?


柏木 ……「背伸び」、かなあ。ひとりでパブリックシアターまで来ることとか、今日はキャロットタワーの奥の扉にまで入ってもいい日、とか。そういう背伸び感。それは行動圏だけじゃなくて、内容とか取り組み方に関しても。


― どうして「背伸び」をした方がいい?


柏木 子供って、安全を守られてると思うんです。だけど「ここから行くとまずいかな?」とか「これ言って大丈夫かな?」って逡巡する時間を持てないでいくと、本当に良くないと思うんです。ワークショップの中でも、いつでも何でもこなせる全能感に満ちているんじゃなくて「今日はこれだけ準備して来たけど、うまくいかなかった」ってことがあってもいいし、「だけど面白い!」って思えてれば、次もトライできる。その子なりの背伸びが出来る環境づくりを、劇場がやらなくてどこがやる? って思うんですね。


― 柏木さんが中学生の時はどうでした?


柏木 僕が中学生の時は……背伸びしてないですね(笑)。中学生の時に無理矢理親父に、川端康成『雪国』、三島由紀夫潮騒』、太宰治人間失格』の日本文学三点セットを渡されて。で、『人間失格』読んでガーンってなってた暗い中学時代だった。高校になって演劇部入ったんだけど、最初体験入部でやめようと思ってたのね。でもやたら構ってくる先輩がいて、僕が二年になった時に「何であの時引き止めたんですか?」って聞いたら、「お前さぁ、そのままほっといたら人殺しそうな顔してたんだもん」って言われて、そんな感じだったんだー? って(笑)。全国大会に行くような演劇部だったんで、背伸び感を持ったのは高校になってからかな。いきなり大阪まで行けとか、この舞台セットつくれとか言われたりね。だけど嫌じゃなかったし、そこで鍛えられたなーって思うと、背伸び感はどこかで要るかなと。大学に入ってから、当時教えに来てた如月小春(故人)に出会って、卒業後にアジア女性演劇会議(※1)の一回目を手伝いに行ってそのままNOISE(※2)入って。アジア女性演劇会議も、自分にとってはすごい背伸びだったな。


― 柏木さんの演劇史は、背伸び史でもあるわけですね。


柏木 そうですね、背伸び史です


― 初日に観劇した『地域の物語』に応答する何らかのものを、これからつくっていきますね。ワークショップ最終日には、それを『地域の物語』参加者の方々に観ていただくわけですが、中学生たちがどんなことを彼らに返せたらいいと思いますか?


柏木 直截な言葉とか行為を返せるといい。自分たちに起きた変化とか、おそろしいとか気持ち悪いと感じたこととか。こういうものを受け取ってますけど、そうじゃなかったら言ってくださいねっていう、応答の場にできたらいいですね。




※1 劇作家・演出家の故・如月小春氏、故・岸田理生氏を中心に、1992年に発足した組織。
※2 如月小春氏の主宰していた劇団。



(落 雅季子 2015.03.27)










世田谷パブリックシアター演劇部 批評課(2日目)

 三日間の休暇のあと、あなたは再びワークショップにやってきた。あたらしく知り合った人々とは自然に言葉をかわせるようになっただろうか? 同じ演劇部の仲間と手をつないだり、名前を呼びあったりすることに、少しは慣れただろうか?
 さて、男が紙の束を取り出す。裏返された31枚の紙から、あなたは1枚を無作為に選ぶ。引いたら表に返す。堀江敏幸須賀敦子中上健次カポーティドストエフスキー、エトセトラ。ひとりで声に出して読んでから、この文章を書いた「作家の身体」を思い浮かべる。たとえば、引きあてた文章があなたの身体になじまないとして、あなたは口の中でモゴモゴと消化不良の言葉と格闘し、何でこんなの引いちゃったんだろうと考える。
 次にあなたは、先ほどの31枚の紙を読み比べ、好きなものを選ぶ。岡田利規山田詠美保坂和志川上弘美サガン、エトセトラ。また声に出して読んでみる。何度でも声に出す。「作家の身体」のほかに、「翻訳者の身体」「登場人物の身体」、それを読む「自分の身体」などが見えてくる。その複数の「身体」を感じてあなたは少し混乱する。 
 あなたはさらに、文章の骨と肉を切り離したり、よく噛んだり吐き出したり、また口に入れたりする。その正体をつかもうとする。わかりかけた気がする。しかしそれと同時に、それまでまとまって見えていたはずの文章が、ちぎれて意味をなさなくなっていく。声に出して読めば読むほど、文章があなたから遠ざかっていくような気さえする。
 さんざん味わったところで、あなたに残るのはわずかな養分でしかない。自分の文体を見つけるには、もっともっと多くのものを読んで、書いて、飲みこむ必要がある。もちろん時間はかかるけれど、あきらめることはない。少なくともあなたは今日、世界に数多(あまた)あふれる言葉たちへの入口には立ったのだから。


(落 雅季子 2015.03.26)




世田谷パブリックシアター演劇部 批評課(1日目)

 午後2時25分、三軒茶屋の商店街を、中学生たちと歩く。ワークショップ会場の小学校から、徒歩で10分ほどの劇場に行き、これから、とある演劇を観るのだ。少女たちはおしゃべりしているので歩みが遅い。私は、先ほど一生懸命覚えたみんなの名前を、心の中でひとりひとり反芻しながら彼女たちを追い抜いて、先頭をすたすた歩く少年に何となくついていった。

 商店街は道幅が狭いわりに店が密集しており、自転車がよく行き交う。「自転車多いね」と話しかけると、彼は小さく「はい」と言った。もっと話そうと思って「えっと、お兄ちゃんの方だよね」と訊ねると「いいえ弟です」と否定された。彼は、兄といっしょに参加しているのだ。上着を着て服の色が変わったので間違えてしまった。あさはかである。「よく似てると言われます」と、少年は控えめに私をフォローした。

 商店街は246に突き当たった。横断歩道の信号を待ちながら中学生たちの、まだ幼さの残る横顔を見る。倍以上も長く生き、演劇の世界に少なからず身をひたしている私は、「音楽の盛り上がり」「照明の彩り」「俳優の叙情」「脚本の言葉」など、何の要素に感動(あるいは興ざめ)しているのか考え、引き裂かれながら演劇を観ることにもう慣れている。分解によって感動の大きさが損なわれることはない。解像度を上げることで、人の心を動かす演劇の正体を見きわめる。これは年の功であろう。

 さっきのレクチャーで見た、長嶋監督とか淀川長治のダイジェスト映像だってそうだ。野球や映画への愛の深さゆえに、少し滑稽にすら見えてしまう彼らの「批評」の言葉を、中学生たちはどう受け止めたのだろう。あの語り口が、長年の愛の蓄積から溢れでたものだということに気づいただろうか? この世に生まれてまだ10数年。堆積のわずかな中学生たちの地層は、しかし、ふかふかしてやわらかそうでもある。

 そのやわらかな身体に、ワークショップで示された「演劇の要素を分解して観てみよう」という鑑賞方法はどう染みこむのか。満席のシアタートラム、『地域の物語2015 あっちはこっち、こっちはあっち 〜介助・介護をかんがえる』。中学生たちは立ち見席にぞろぞろ案内されてゆく。その様子を視界の端っこに見ながら私は、いや、まあとにかく、次は間違えずに兄と弟の名を呼ぶのだ、と決意して開演を待っていた。


(落 雅季子 2015.03.22)








SPAC「ふじのくに⇄せかい演劇祭」プレス発表会 2015.03.16


 SPAC-静岡県舞台芸術センターでは、今年もゴールデンウィーク「ふじのくに⇄せかい演劇祭」が行われる。今回、SPACの新作として発表される『メフィストと呼ばれた男』(Mefisto For Ever)はベルギーの劇作家トム・ラノワが、ナチス政権支配下にあった当時のドイツの公立劇場を舞台に書いた戯曲である。

 なぜ今、この戯曲を上演するのかということについて、SPAC芸術総監督・宮城聰は語った。

「日本が戦争をする国に近づいている状況にあって、公立劇場はこういう時に何ができるか? その時の参考例が1930〜40年代のドイツになる。僕ひとりでは到底答えの出ない問題だが、この作品を上演することで日本の公立劇場で仕事をする俳優やスタッフたちが戦前のことを考えるきっかけになり、そこから連帯が生まれていけばと切実に願っている」

 この言葉だけでも、宮城が、かつてない危機感を持っていることが見て取れる。彼は『メフィストと呼ばれた男』を、あえて“リアリズム的に”演出すると言った。その意図をたずねる会場からの質問に、宮城はこう答えた。

「物事を考えるヒントとしては“メタファー”や“普遍化”は手法として使えないんじゃないかと思って。1932年のベルリンの公立劇場に、今自分がスタッフ、俳優、演出家としてその場にいたらどうだろうかという、particularな(=特有の)状況に自分を置いて考えてほしいし、僕も考えている。そうした仲間を少しでも増やしたくて、そのためにはいっさい抽象化が出来ないと思ったんですね」

 会見には『例えば朝9時には誰がルーム51の角を曲がってくるかを知っていたとする』を共同演出する西尾佳織(鳥公園)、鈴木一郎太((株)大と小とレフ)も登壇していた。彼らの作品紹介に際して宮城は、(劇団としての)SPACが地域の劇場に行った時に「演劇は敷居が高い」と言われた経験を振り返りながらコメントした。

「戦前のドイツでは、演劇は教養の高い、いわば社会の上澄みの人々のもので、静岡に来て初めて『演劇は敷居が高い』という言葉を聞いた時に、そのドイツの話が遠いものではないと感じた。これまで“民衆的”という言葉は僕にとってあまりいい印象がなかったけれども、戦前のドイツを思わせる気分が蔓延してくる中で、今あらためて“民衆的な表現”が何なのかを考えずにはいられない。ファシズムの中では常に“民衆的な表現”であることが正しいとされ、そうではないものが弾圧されて多様性が失われていく。SPACで“民衆的な表現”をやれていると胸をはって言えなければ、われわれはやがて戦前のドイツの劇場のように追いやられてしまう。もちろん、世の中の過半数の価値観を追認することが“民衆的”なのではない。では何が? と問い続けること。この作品(『例えば朝9時には〜』)が、僕にとってそういう刺激になってくれることを期待している」

 『例えば朝9時には〜』は静岡市駿河区の池田地区周辺を歩いてめぐる形式の演劇作品である。上演中に、町の人と出会うことも、当然あるだろう。演劇は本当に敷居が高いものなのか、どんな演劇を上演すれば人々のよりよい生活の役に立てるのか、そもそもそんな必要が本当にあるのか、考えればきりがない。私自身も、町を舞台に遊歩型ツアーパフォーマンス『演劇クエスト』をつくる者として悩んだことは幾度もあったし、これからも試行錯誤は続いていくことを覚悟している。だからこそ、今作へのこの宮城のコメントには勇気づけられた。

 『演劇クエスト』は、リサーチとして町を何度も訪ね、時間を過ごした上でつくっている。銭湯に立ち寄っておばさんたちのおしゃべりに耳をそばだててみたり、立ち飲み屋で常連客同士のやりとりを眺めてみたり、と思っていたら急に話しかけられて面くらったりする。町の人々の生きている時間の奥ゆきを、作品の遥かかなたに感じさせるようなものでありたいと、いつも考えながら『演劇クエスト』をつくる。西尾佳織は、『例えば朝9時には〜』について「観て、感じたり考えたりするんだけど、“追いつかなさ”ということも同時にやりたい。作品を体験したところで追いつけないものが、人が生きてる時間にはあるなあって。そこに入っていけないと意味がないなあと(鈴木さんたちと)話している」と語った。まだ見ぬ池田地区を歩くことが、今から本当に楽しみになる一言だった。

 会見の全般にわたり、宮城が現在の日本の政治情勢への危機感を持ち、それに対する演劇にたずさわる人との連帯を模索している様子が印象的だった。何が起きてもふてぶてしくすり抜け、ごまかす権力者に私たちは慣れかけている。怒りや危機感を表明することが、急速にむなしくなっている状況で、終わりのない問いを考え続ける姿勢自体が、すでに難しいものになってしまっている。そうしたむなしさの嵐に飲み込まれ、あきらめてしまわないための一つのよりどころに、今年のふじのくに⇄せかい演劇祭はきっとなるだろう。
(落 雅季子)




(写真は左からダニエル・ジャンヌトー、鈴木一郎太、西尾佳織、宮城聰)


 

セルフ・ナラタージュ #01 神里雄大(岡崎藝術座)


▼はじめに

ある作家について語る時、彼らの過去作品に言及することや、演劇史そのものを参照しながら彼らの資質をどう位置づけるか考えることは、よくある。でも、そうした切り口に留まらず、彼らの人生そのものになぜか引きつけられてしまう相手がいるのも事実だ。

このインタビューシリーズで目指すのは、私にとってそうした存在である人々のルーツを訊ね、創作の地下深くを流れる水脈を知ること。過去を語ってもらいながら、未来に通じる道をさがす「セルフ・ナラタージュ」。第1回は、劇作家・演出家の神里雄大(岡崎藝術座)。昨年の3月と、今年の1月に訊いた話をもとにして、彼の行く先を見つめる。

(聞き手・撮影:落 雅季子 写真提供:神里雄大



ブエノスアイレスのラ・ボカにて


▼2014.3.21 登戸

2014年冬、神里は祖母の住むペルーのリマに滞在していた。その間には第58回岸田戯曲賞に『(飲めない人のための)ブラックコーヒー』でノミネートされていたが、彼の関心はそうした日本国内のトピックにとどまってはいなかった。帰国したばかりの彼の話には、これまで/これからの彼の創作活動に通じる鍵が散りばめられており、どこか得体の知れないエネルギーに満ちていた。



― まずはお帰りなさい。今年の岸田國士戯曲賞にノミネートされた時は、南米にいらしたんですよね。

神里 受賞については特に気にしないようにしてて……といっても気になるものだけど、当日の発表時間は、ペルーでは早朝だったので僕は寝てました。果報は寝てマテ茶。

― ……。

神里 つまんなかった? 果報じゃなかったですけどね(笑)。まあいいんじゃないですかね。次の日にはもう忘れました。

― 1月の前半から3月まで、どこにどれくらい滞在したんですか。

神里 僕の外国の親戚は、全部父方なんですが、ペルーのリマのばあちゃんちに3週間くらいいて、そのあと1週間クスコとマチュピチュに旅行して、リマに戻ってからアルゼンチンのブエノスアイレスに5日、パラグアイアスンシオンに3日です。そこからリマに一週間ほど戻ってから、叔父のいるラスベガスに2週間行きました。12時間くらいのフライトも、慣れてほとんど寝てるので何も感じなくなってきましたよ。


マチュピチュにて



【神里雄大のルーツ】
― リマにいらっしゃるおばあさまは、おいくつなんですか?

神里 今年数えで88歳だったかな。20年前にじいちゃんが亡くなったので、それからばあちゃんは一人暮らしですね。

― おばあさまが、最初にペルーに渡られた時の経緯を教えていただけますか。

神里 もともと、僕のひいじいちゃんが大正時代の移民政策・出稼ぎで、沖縄からペルーのリマに渡りました。そして戦前にじいちゃんが生まれて、12歳くらいで大宜味村という沖縄本島北部の村に戻ってきたんです。じいちゃんとばあちゃんは家が近かった縁で結婚して、父親が生まれた。うちの父親は小学校1年生まで那覇にいて、またじいちゃんたちと一緒にリマに戻ったんですね。だから父親はリマ育ちで、20歳過ぎに北海道に留学に来て母親と出会ったの。結婚してからリマに行ってそこで僕が生まれたから、僕はペルー国籍だけど、生後半年で日本に戻って来たので、ペルーの記憶はほとんどないです。沖縄の血を引いてるから顔は外国風だけど……まあ沖縄に行けば普通の顔だよ! ちなみに叔父さんは、ラスベガスで医者をしてます。日系の沖縄系ペルー人女性と結婚して、家庭内ではスペイン語を使ってるの。日系でありながら、スペイン語を話すというのはアメリカでも珍しいらしいんです。

― おばあさまとのリマでの暮らしについて教えてください。

神里 ばあちゃんは戦後にペルーに渡ったので、スペイン語母語じゃない。でも、日本語も抜けてきているので、いくつか言語が混ざってる感じです。僕とは日本語しかしゃべらないけど、たとえばペルー人の友達が家に遊びに来ていて、そこに僕が話しかけたりするとスペイン語になって、うちなーぐちも混ざるかな。スペイン語5:日本の標準語4:うちなーぐち1くらいで、僕と喋る時は日本語8:スペイン語2のイメージ。
今回、リマでひいじいちゃんたちの墓参りをしたんだけど、ばあちゃんにとってはすごく大きな出来事だったみたいですね。ばあちゃんはカトリックなんだけど、仏壇も持ってて線香もあげるんです。帰り際に、ばあちゃんに仏壇のことをよろしく頼まれて。前だったらそういうの嫌だったけど、今は自分がどう考えるかよりも、誰かが大事にしているものは否定すべきではないって思う。「仏壇を頼む」って言われて「自分はそういうのは信じないから嫌だ」と言うのはあまりにも子どもじみてる。今後自分がどういう生活をするかはわからないけど、責任持たなきゃとは思いました。

― それはたとえば言語が混ざっているとか、カトリックと仏壇の渾然一体さを含めて、自分のルーツとして引き受けて行くということ?

神里 さっき「日本語とスペイン語が混ざってる」って言ったけど、でも言葉ってそういうものですよね。宗教だって、いろんな人の気持ちや思惑や政治が入り込んで今の信仰のあり方になってるし、混ざってるほうが自然だと思う。ペルーって「人種」を気にしないところがあると僕は思ってて。インカ帝国時代からの民族や日系、スペイン系、中国系……いろんな人がいる。2か月弱しか向こうにいなかったから大げさなこと言えないんだけど、帰国してみると、どうもこの日本はあまりに血が濃くて、どこか違う星だとすら感じる。他者が本当にいなくて厳しいなって、自分の環境をちょっと呪うよね。外国で文化習慣があまりに違う時にくじけそうになるこの弱さが、この環境のせいなんじゃないかって思うこともあります。

― 今回より以前に南米に滞在したことはなかったんでしたっけ?

神里 20年前にパラグアイに2年住んでましたけど、南米に行ったのはそれ以来でした。自分にとっても、パラグアイの2年間がだいぶ人格形成に関わったなっていう実感がもともとあって、作るものや興味のあるテーマが直結してるのは間違いないということは今回改めて感じましたね。


リマの沖縄県人会によるOkinawa Matsuriにて



日本人学校での生活】
― パラグアイアスンシオンにいた時のことを教えていただけますか。

神里 父親はスペイン語と英語が出来るので、ずっと南米関係の仕事をしてるんですね。その赴任に伴って、小学校4年生から6年生まで住んでました。帰ってきた直後に、阪神大震災地下鉄サリン事件がありましたね。

― 今回の旅で、母校であるアスンシオン日本人学校も訪ねたんですよね。

神里 この学校には小学1年生から中学3年生までが在学しているんだけど、僕が学校に通ってた時代は今の生徒たちが生まれるより前なんだよね……。時間を飛び越えて、記憶の中の場所と場所がつながるのはおもしろかった。日本人学校の先生方の雰囲気も変わってなかった。人数が少ないので、ひとつの教室に集まってごはんを食べるし、スクールバスで帰る時も先生が皆でずーっと両手を振ってくれる。家族みたいな場所です。

― なるほど。ちなみに学校にいた頃はどういうキャラクターだったんですか。

神里 恥ずかしいんですけど、僕あだなが「しんちゃん」だったんですよ。どうしてか今まで忘れてたんだけど、当時『クレヨンしんちゃん』の物まねをよくやってて、それで「しんちゃん」だったの(笑)。まあ、そんなキャラです。



【南米と日本の距離】
― 私、パラグアイっていうと「マテ茶」と「グァラニー」くらいしか知らないんですよね……。

神里 それ、僕の芝居(『グァラニーがいっぱい』2009年)で得た知識じゃん……。しかも「マテ茶」ってもはや日本語じゃん……。グァラニーはパラグアイの通貨単位ですけど、もともとはインディオ部族の名前なんですよ。パラグアイは、スペイン語とグァラニー語が公用語。地方行くとグァラニー語しかしゃべれない人もいるとか。ちなみに、ただ「マテ」っていうと温かいマテ茶を指します。水出しの冷たいマテ茶は「テレレ」と呼びます。専用の水筒をみんな持ってて、道ばたで飲んだりしてますよ。暑いので、みんな仕事してないんじゃないかな。でも、蒸し暑いというよりは、太陽に押さえつけられるような暑さなんです。あそこに行って、ことあるごとに「南米っぽい」って言われる、僕の創作イメージの根源がわかった気がしました。あの暑さと土の色ですね。太陽に焼かれたような、レンガ色の土があるんですよ。

― かつてパラグアイに住んでいて、その暑さと土の色に愛着と創作を捧げたい気持ちがあるのに、永遠に異邦人の気持ちも同時にあって、それを持て余す暑苦しさも結局その太陽に通じてしまうのが、「南米っぽい」と言われる所以かもしれないですね。大人になったことで、南米との付き合い方や距離感が変わったと思いますか?

神里 今回来ることで変わりました。最初は、無理だな、こりゃ住めねえなと思いましたが、今はわりといけそう。それも、移住というより近所の散歩感覚です。「血」の話をするなら、自分の「日本人としての血」はどうでもいいけど、「血縁」というものについてはどうでもよくないと思うようになった。ずっと離ればなれでいた血縁を、普段そばにいる他者よりも優先しようとは思わないけど、せっかく近くに来たなら会っておきたいなって。

― 遠くに自分の過去を知ってる人がいてくれるのは安心感につながるし、自分を見つめ直す足場にもなりますよね。「南米に住めると思うようになった」というのはどういう感覚なのですか。

神里 たとえば日系ペルー人は、別に「住みたい」「住みたくない」という理由でペルーにいるわけじゃないでしょう。「親が移住したから住んでいるけれど、日本の心は忘れない」みたいなことは、「選択」じゃなくて「生き方」ですから。だから、僕が「南米に住める」と言ったのは、目的が「住む」ことじゃなくなったという意味かな。「住む」ことは、手段ではあっても目的にはしてはならないという意味で「言葉を使う」ことと似ていると思うの。日本語で話してると、いかに表現するかが目的になるし、どんどん内にこもる。喋り慣れてない英語やスペイン語はもっと何かを「伝える」ためだけにあって、もどかしさはあるんだけど、一方ではすっきりする。登山みたいに、もやもや抱えたままのぼって行くと汗で流れる感じ。狭いところで考えてることを、母語じゃないものが外に連れ出してくれる、そのシンプルさですね。期間限定でも、住んでみるとそこが大事になってきて、日本で気にしてた情報や関係性はその場所ではたいしたことじゃない。それこそ、「岸田賞にノミネートされましたが、取れませんでした」という事実は、あの町にいる限り何でもなくて、自分の靴にゴミがついたことのほうが正直気になる。

― 今回3月11日に帰国したわけだけど、あれくらいの大規模な災害や大事件が日本で起きたとしたらペルーで何を考えたんでしょうね。

神里 もちろん心配するでしょう。でも恐らく、自分たちの生活は変わらない。だって、チェルノブイリの時だって日本人の生活は変わらなかったし、原発も止まらなかったでしょう。

― それは遠い日本を切り離しているのではなくて、自分とペルーの周りの環境を、より強く大事に思うということなんですね。

神里 自分の靴の汚れより原発が大事になっちゃったら身が持たないって認めてから、何かが始まると思うんだけどなあ。

― 南米の滞在を経て、書くものや作るものが変わる予感はあります?

神里 あります。今までは、よくも悪くも人の目を気にして作ってた。前はもっと、はみ出たかったけど、無意識に枠に収まろうとしてた。今は、皆がどういう考えを持っていてもいいと思う。自分はこれがいいと思うものはいいし、やりたくないことはやりたくないって言う。前からそうは言ってたんだけど(笑)周りの反応を予測しなくていいと思ったということかな。何だか、第二の人生始まったつもりでやってますよ。




▼1年の空白

さて、この神里雄大のパーソナリティに踏み込んだインタビューをどう形にしていくべきか。考えながら原稿を整えたり、手を入れたり、温め直したりしているうちに、彼の南米の滞在をもとにした新作『+51 アビアシオン, サンボルハ』が上演されることを知った。2014年8月に行われた試演を観て、きっとこれは岡崎藝術座の新しい境地になるという予感を得た。彼の長い旅(それは時間にしてみればたった2か月弱のことだけれど)を、曲がりくねった道なりに、観客がたどっていくような体験になると思った。

試演を観るにあたり、どこにも公開していなかった手元のインタビュー原稿は、私の作品理解をひそかに助けた。いくつかの固有名詞は、すでに彼から説明を受けていたし、彼の先祖が南米に渡った経緯も、私は(作品を初めて見る人よりは)よく理解していた。だから、インタビューを公開することは『+51 アビアシオン, サンボルハ』の観客にとって有益なことになるだろうと思った。しかし同時に、これを単なる「観劇の前情報」ではない形で届けたいとも考えていた。

それからしばらくの時間を経て、私は、戯曲を書き上げたという神里雄大に連絡を取り、ふたたび話を訊くことにした。帰国したばかりの頃の感覚が、現在の日本の政治情勢や、具体的な創作活動に臨むうちにどのように変化したのだろう。自分のルーツを探る旅から、彼は何か新しいものを掴むところにたどりついたのだろうか?




▼2015.1.23下北沢


― お久しぶりです。あれから南米には行ってないんですか?

神里 行ってないです。お金もないし、暇がない。行くならやっぱり半年くらい行きたいんですよね。

― 去年帰国された頃から日本の状況もずいぶん変わりましたけれど、日本の政治の情勢は今も気になってる?

神里 気にはなってるけど、問題なのは政治じゃないと思ってる。2011年の『レッドと黒の膨張する半球体』の時にやったのは、ある種の国民批判だったわけだけど、結局そこに戻りますね。今の日本には、他人の人生に対する「謙虚さ」が存在しない。ネトウヨもリベラルと言われる人も、みんなが相手を攻撃するばっかりで、他人の存在を蔑ろにするようなことを平気でやるのは、相手がどういう思想の持ち主であれどうなのって思うよ。ある信念を持って中東情勢に関わってた人が捕まったら「自己責任」。でもイチローが活躍したら「日本人すげえ」ってなる。でも、そういう矛盾に対して、自分も加担してる人間のひとりだし、もう日本は終わってるんじゃないかって。そんな感じですね……最近の僕は(ため息)。

― ……だとすると、今は何に意味を見出してるのでしょう?

神里 終わってるってことは何の意味も見出せないってことで、ただ「終わってる」という状況だけがある感じかな。無責任な物言いだとは思いますけどね……。たとえば僕は子どもが好きだけれども、今の日本ではつくれないなって思ってしまう……。

― そういう、ある種の閉塞感を抱えながら新作をつくっているところだと思うんですけど、今回の作品のタイトルの『+51 アビアシオン、サンボルハ』は、おばあさまの住んでいらっしゃるリマの住所と、ペルーの国際電話の国コードだそうですね。最初の「+51」は、何て読むんですか?

神里 「プラスゴーイチ」です。アビアシオン、サンボルハっていうのがスペイン語だから、シンクエンタ・イ・ウノ(※スペイン語で51)にしようかと思ったけど、わかりにくいので日本語にしました。

― 昨年の8月に森下スタジオで試演を見た時、神里さんが台本の冒頭部分を読んだパフォーマンスがかなり面白かったんですよね。自分の体験に対する内向きのベクトルがありながら、舞台が日本から遠い南米だったせいか、内にこもった独りよがりなものがなくて。

神里 今作は、僕個人の体験をもとにしているし、固有名とかの情報量が特に多いと思う。特定の人間の特異な体験やバックグラウンドに支えられて出来てるものは、見る側にフックがないからこそシンプルに行くしかないと思ってます。でも、今回は自分の体験を書きながらも、確実に外には向かってる。ひとりで抱え込んでる話ではないし、8月の試演よりドライに距離が取れてる。

― 前作の『(飲めない人のための)ブラックコーヒー』には、誘拐された女の子のエピソードとか、自分の「意見」の及ばない存在がいましたよね。今作も、演出家の佐野碩とか、ペルーのおばあちゃんたちが話の中に出て来ていて、そういう他人の生きてきた道筋を尊重している作品をつくっていることは、「日本終わってる」っていうさっきの話とは逆のベクトルに思えるんですよ。

神里 そうかもしれない。話が戻るけど、僕個人の意見で言えば原発は反対だし、沖縄の基地も県外移設するべき。それはリベラル的な考え方だとは思うし、それに相反する意見は、愉快な気分にはならない。ただし、自分の属するコミュニティの中で対話が行われた上で、自分の意見と違う結論が導かれたならそれは尊重せざるを得ない。自分がそこに留まるかは、ともかくとしてね。だから日本で国民的議論が巻き起こった上で、原発は稼働させることになったならそれはしょうがない。いちばんの問題はそこで、今は誰しも、妥協する気もなければ対話する気すら見せない。限られた人間と同じ空間にいてものをつくることで、演劇という表現形式が、観客との対話の機会を奪うことだけはやりたくないっていうのが僕の意見で、上演が、違う意見を持つ人たちが対話を通して理解を深める場であればいいと思うけど、自分がそれを操作するのもえらそうな話だなと思うから……。結局自分も演劇において、相手を自分の持っていきたいところに行かせることは演出としてやるし、常にその綱引きですよね。


【南米に住むという実感】
― 前みたいに、純粋に南米住みたいなあとはもう思ってない?

神里 住みたいですよ。でも、まだまだ日本を切り離しては考えられない。

― 生活もだけど、創作も?

神里 普段の思考はすべて日本語でおこなってるわけだから。別の言語で創作するのは、まだ現実的ではないと思う。

― 南米では英語などを使って生活していたと思うんですけど、純粋に意志を伝えるための外国語は、創作のための思考には届かないのでしょうか。

神里 今は日本にいて生活をしてるから実感がないけど、あの時は確かにスペイン語がしゃべれなくても創作出来るんじゃないか? と思ってた。だから、今ここにいる時の実感よりも、行って順応した時にどうなるかが重要なんですよ。

― それが今のモードなんですね。でも、日本で新作を無理してつくってるわけではなくて、ある種の必然性を持ってつくってるんですよね?

神里 もちろん、楽な方に流れたくないからそういう無理はするけど、つくりたいからつくってるのは間違いないです。

― でも今日聞いてきたような、神里さんの社会に対する「終わっている」モードと、作品をつくっていくための気持ちの盛り上がりがあまり一致してない気もするんです。

神里 「終わってる」といいながら、どこかで何かを待って、何かが出来ると思ってるんだよね。もし自暴自棄だったら、たぶん家からも出ないし書こうとも思わないはずだから。

― そこにはすごく興味がある。それでも何か変わるかもしれない、起こるかもしれないっていう気持ちと同時に「終わってるという状況だけがある」という気持ちなわけですよね。

神里 まあ、もっとしょうもない話かもしれない。「子どもは欲しくないけどセックスはしたい」みたいな。

― ……う、うん?

神里 誰もがみんな子どもをつくろうと思ってセックスするわけじゃないでしょ。「欲」の部分と、「現状認識」や「理性」の部分は話は別だと思う。現状認識だと今の日本はかなり厳しくて、子どもなんてつくれない状況だと僕は思ってしまうけど、欲の部分では作品をつくりたいと思う自分がいる。種として子孫を残すべきであるっていう理性的な考えも、欲がないと机上の空論でしょ。欲がないとセックスできないし。社会には、ヤクザもいれば詐欺師もいて、サラリーマンもいる。僕はたまたま劇作家をやっている。集団の中で、自分の役割がどうあるべきか理性的に考えることと、やりたいから何かをやるという欲の話は別、というのが大きな前提。

― これは今日話した感触ですけど、やっぱり神里さんが何か作品をつくる時には、絶対的に他者を必要として、想定して描いている感じはあるんですよ。

神里 「観客」って誰なのかって考えると、結局のところ、「観客」「役者」みたいな言葉は演劇の中での言い方にすぎない。普通に街を歩いててすれ違う人に「観客」も「役者」もなくて、それは「人」と「人」なんですよ。そう考えるようになってきてるのかもしれない。だから別に作り手然としてなくてもいい気がするというか。でも何事においても外部がないと、ものはつくらないですよね。少なくとも僕はそう。


― その「外部」は状況によって変化したり進化したりする?

神里 昔は、「劇場」に観に来るお客さんのことばかり考えてしまってたけど、それがいつのまにか「東京」になって、「東京」でもなくなって、つまりそういうことなんじゃないかなって。自分で考える範囲がひろがって、身体的な意味のスケール感がもう少し出たんじゃないかなって思いますね。




▼おわりに

神里雄大と南米との深い結びつきは、彼が生まれるずっと前から続いてきた。多くの人の生き様が長い年月の中で絡みあい、彼という作家を通して日本の演劇のフィールドにあらわれたことは、時間がけっしてひとりの人間の中を一直線に流れるものではないということを教えてくれるようだ。

新作『+51 アビアシオン, サンボルハ』ツアーの開始には間に合わなかったが、1年弱の時間をかけてひとりの劇作家・演出家としての彼の話を聴き、上演される1作品のためだけではない言葉を引き出すようつとめた。

下北沢でのインタビューの最後に彼が言った「普通に街を歩いててすれ違う人に「観客」も「役者」もなくて、それは「人」と「人」なんですよ。」という言葉が今も印象に残る。彼の今見ている世界のひろがりは、彼の作品がこれから開拓しつづける地平にきっと通じているだろう。




マンスリー・ブリコメンド(2015年3月)

3月のマンスリー・ブリコメンドです(コンセプトはこちら)。

すっかり春が近づいてきましたね。三寒四温でいうと、二寒三温(?)くらいまで来たかな? どうかな?
そんな明るい気分で、今月もいってみましょう◎(落)

★メンバーのプロフィールはこちら。http://d.hatena.ne.jp/bricolaq/20120930/p1


今月のブリコメンド

藤原ちから/プルサーマル・フジコ twitter:@pulfujiko


鈴木励滋(すずき・れいじ) twitter:@suzurejio

■3月の鈴木励滋出没警報・注意報

カトリヒデトシ twitter:@hide_KATORI


徳永京子(とくなが・きょうこ) twitter:@k_tokunaga


落 雅季子(おち・まきこ) twitter:@maki_co

西尾孔志(にしお・ひろし) twitter:@nishiohiroshi


古賀菜々絵(こが・ななえ)



3月の鈴木励滋出没警報・注意報

※警報はこの色、注意報はこの色になっています。





3月4日(水)〜3月8日(日)
モモンガ・コンプレックス
「大失敗。」

http://www.momongacomplex.info/
こまばアゴラ劇場駒場東大前)
広島公演は3月21日(土)〜3月22日(日)、アステールプラザ 多目的スタジオにて。





3月5日(木)〜3月25日(水)
M&Oplaysプロデュース
「結びの庭」
http://www.morisk.com/
本多劇場(下北沢)






3月6日(金)〜3月15日(日)
サンプル
「蒲団と達磨」

http://samplenet.org/
神奈川芸術劇場・大スタジオ(日本大通り
一昨年のハイバイ「月光のつゝしみ」に続く、リスペクトイワマツ第二弾。数百年後には岩松の弟子だから岩井と松井と名乗っていたという誤説が演劇の教科書に載っているはずである。





3月6日(金)〜3月8日(日)
1/10世紀のはらっぱ祭り
https://twitter.com/atenthcentury
貸しはらっぱ音地(日暮里)
1/10世紀、くロひげ、絶区シアター、カミグセ、接続過剰、水道航路、アムリタの七団体の内、各回三団体が出てくる模様ですが、一番観たいカミグセの出る回に行かれないので出没度は低いでしょう。






3月8日(日)〜3月15日(日)
トリコロールケーキ
「このオカリナを壊してもいいと言われ」
http://www.toricoro.com/
STスポット(横浜)
いつもチラシがかわいくて、気になっているけれど行かれない。






3月9日(月)〜3月22日(日)
地点
「三人姉妹」
http://chiten-kaat.net/
神奈川芸術劇場・中スタジオ(日本大通り

  




3月11日(水)〜3月15日(日)
劇団820製作所
「悲しみ|izumi」

http://820-haniwa.com/
調布市せんがわ劇場
第5回せんがわ劇場演劇コンクールグランプリ記念公演。
2006年に、中野成樹(POOL-5)+フランケンズを目当てに行ったSTスポットでの「summerholic 06 ―恐怖劇場―」というショーケースで観た「izumi」はほんとうに素晴らしかった。それを膨らませた本公演は間延びしていたが、9年経った「izumi」はとても楽しみ。





3月11日(水)〜3月15日(日)
カトリ企画&iaku 合同企画
「「紙風船」から90年。岸田國士の今」
http://blog.livedoor.jp/kishidanoima/
古民家asagoro(鷺ノ宮)
大阪公演は3月18日(水)〜21日(土)、in→dependent theatre 1stで。金沢公演は3月22日(日)に中村記念美術館(旧中村邸)と、3月23日(月)に金沢市民芸術村(里山の家)にて。





3月11日(水)〜3月15日(日)
桃園会
「『うちやまつり』・『paradise lost,lost〜うちやまつり後日譚〜』」

http://www.toenkai.com/
座・高円寺1(高円寺)





3月11日(水)〜3月22日(日)
木ノ下歌舞伎
「黒塚」

http://kinoshita-kabuki.org/
こまばアゴラ劇場駒場東大前)
「CoRich舞台芸術まつり!2013春」グランプリ受賞作。三重、岐阜、京都と回り、残すは東京と新潟公演(3月26日(木)〜27日(金) りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館にて)。天下無双の俳優が出る。

 



3月12日(木)〜3月15日(日)
CHAiroiPLIN
さくらんぼ」
http://tamagoplin.nomaki.jp/
「劇」小劇場(下北沢)
若手演出家コンクール2013最優秀賞受賞記念公演。

 



3月13日(金)〜3月15日(日)
演劇ユニット the pillow talk
「トーキョー都民、ミギナラエ」
http://thepillowtalk.jimdo.com/
新宿ゴールデン街劇場(新宿三丁目
旗揚げ公演とのこと。




3月18日(水)
笠井瑞丈企画「night session」vol.3
「狂気の桜」

http://www.session-house.net/mitsutake.html
セッションハウス(神楽坂)
笠井瑞丈の月一企画。今回相手に選んだのはかなり手強いぜ、鈴木ユキオだ! 21:45に開演し公演時間約50分というのもよい。






3月19日(木)〜3月23日(月)
岡崎藝術座
「+51 アビアシオン,サンボルハ」
http://okazaki-aviacion.strikingly.com/
NICA(NIHONBASHI INSTITUTE OF CONTEMPORARY ARTS
小伝馬町/馬喰横山町/馬喰町/東日本橋







3月19日(木)〜3月20日(金)
ナチュラルダンステアトル 25周年公演
「HITONAMI いとなみ」
http://natural-dance.com/
座・高円寺1(高円寺)
「さーかす」という作品が好きだったなぁ。





3月20日(金)〜3月22日(日)
大橋可也&ダンサーズ
「クラウデッド」
http://dancehardcore.com/topics_theworld_season2.html
SNAC(清澄白河
14:00から16:00までの間にSNACにて受付をし、複数の会場を移動しながら、パフォーマンスを観る「散歩型」公演。ルート周辺のカフェのチケットが付くようだが、18:30にはパフォーマンスが終了してしまうようなので、カフェでくつろぎ過ぎ注意。





3月20日(金)〜3月29日(日)
アマヤドリ
「悪い冗談」
http://amayadori.sub.jp/
東京芸術劇場 シアターイースト(池袋)





3月21日(土)〜3月22日(日)
「踊りに行くぜ!」?vol.5
「To day」他二作

http://odori2.jcdn.org/5/schedule/tokyo.html
アサヒ・アートスクエア(浅草)
太田省吾に師事した桑折現が演出したダンス作品「To day」が気になる。





3月22日(日)〜3月31日(火)
遠藤麻衣 SOLO SHOW
「アイ・アム・フェニミスト!」
http://on.fb.me/1HtZEGk
Gallery Barco(亀有)
22日18:00からオープニングレセプション。25日は休廊日なので注意。




3月25日(水)〜3月29日(日)
カンパニーデラシネ
「分身」
http://www.onoderan.jp/
シアターX(カイ)(両国)




3月25日(水)〜3月29日(日)
ポーラは嘘をついた―Paralyzed Paula―
「せんてい2人芝居ver.」
http://paralyzedpaula.wix.com/paralyzedpaula
早稲田大学学生会館(早稲田)





3月26日(木)〜3月29日(日)
天使館
「今晩は荒れ模様」

http://setagaya-pt.jp/theater_info/2015/03/post_391.html
世田谷パブリックシアター三軒茶屋
笠井叡のもとへ、黒田育世、白河直子、森下真樹、寺田みさこ、上村なおか、山田せつ子が集結という贅沢。







3月27日(金)〜3月29日(日)
ENBUフェスタ2015
「ABCDEFGH」

https://enbuzemi.co.jp/
シアター風姿花伝椎名町/下落合)
ENBUゼミナール糸井幸之介クラス卒業公演。





3月27日(金)〜3月29日(日)
Kermit Office Presents
「着て踊る〜今日はなにを着ようか〜」

http://www.studioterpsichore.com/event/event1502_03.html
テルプシコール(中野)
糸山明子、けやきネッコ、木檜朱美、白神ももこ、高野真由美、遠江愛、つまり、黒沢美香&ダンサーズとモモンガ・コンプレックスと21世紀ゲバゲバ舞踊団の人々。なんか系譜、そしてつないでいくってことを考える。





3月27日(金)〜3月30日(月)
ブルーノプロデュース
「プリズムが砕けて、青」
http://brunoproduce.net/
STスポット(横浜)
坂あがりスカラシップ対象公演。





3月28日(土)〜3月29日(日)
北村明子ソロ公演
「route 1 永遠と1秒の間 」

http://www.akikokitamura.com/index.html
Tokyo Salon KYOZON(表参道)
最も好きな踊り手のひとり。





 

世田谷パブリックシアター演劇部 批評課

中学生、批評デビュー。

世田谷パブリックシアター演劇部 批評課」春休みに始動しまーす。中学生なら誰でも参加オッケー。ちょいとだけ背伸びして、演劇や文学と(で)遊びます。新しい世界を一緒に見つけにいきましょう。もちろん身体も使いますよー。

http://setagaya-pt.jp/workshop/2015/03/post_341.html